13歳で発症・村上英子さん(仮名・40代)

いい子でいるプレッシャーが

「私の場合、家族、特に母親との関係が発症の原因のひとつと考えられます」

 そう明かすのは村上英子さん(仮名・40代)。中学1年生のころに拒食症を発症した。

 俗にいう「いい子」だった村上さんだが、親との関係性はどこかいびつなものだった。

「親と子で接し方が逆転した感じです。私は母親の気持ちを察して、幸せにしなきゃいけないと必死でした」

 母親は「いいお母さん」だったが、彼女自身の満たされない思いや生き方への不満、娘への嫉妬を無意識のうちに村上さんへ向けていたという。尋ねると当然、否定したというが、幼いころから母の思いを敏感に感じ取っていた。

 言葉にできないモヤモヤとした思いや苦しさを抱え、誰にも打ち明けられなかった。

 学校でも部活ではレギュラー、成績もトップ。友人関係も相手に合わせ、嫌われないように、と気が抜けなかった。

 そんなとき、所属していたバスケットボールチームのコーチの「なんだその太ももは」というデリカシーのないひと言に傷つき、やせて周囲から称賛される同級生の存在をうらやんだことで中学1年の夏、ダイエットを決意。

 食べる量を少し減らす食事がエスカレート。中学2年の夏の食事はみかんの缶詰やところてんなどだけ。それさえもすぐに食べなくなった。

発症した当時の村上さんの1日の摂取カロリーは600キロカロリー。最もやせていたときは朝起きると布団が重く動けなかった
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 冬には体調も悪く、学校も休みがちに。もともとやせていたがそのころの体重はダイエット開始時の半分ほど、いつ死んでもおかしくない状態で、「ミイラみたいな見た目だった」と振り返る

 だが自分がやせているとは思わなかったという。

「やせても自分がやせているように感じない。自分は太っていると思っていたんです」

 信頼できる小児精神科医らとの出会いをきっかけに治療を始めたが今度は体重が増える恐怖との闘いだったという。拒食から過食になり、食べて嘔吐を繰り返すようになり、症状は30年近く続いた。

「今でも母親との関係が解決したわけではありませんが、治療を続け、言葉で表現できるようになってからは症状が少しなくなってきました」

 そして夫との出会い、出産も村上さんを変えた。

「初潮が始まる前に摂食障害を発症し、不妊のリスクがあったにもかかわらず、子どもを授かれたことは神様の計らいだと思っています。自分が母親になったことで気づけたことも大きいです」

 子どもが拒食症になったとき、母親や家族は必要以上に自分を責めることがあるという。そのときに自分自身の人生や家族との関係を見つめ直すことも大切なのだ。

「子に寄り添い、自分たちも変わることも大事だと思います。楽しく自分の力で生きている様子を見せること。そうしたアプローチも回復の後押しになるでしょう」