'18年、悠仁さまが秋篠宮ご夫妻とともに沖縄戦に関するシンポジウムに出席された際には、看護要員として動員された『白梅学徒隊』の生存者である中山きくさんの話に耳を傾けられた。

「講演をお聞きになる前、ご一家のみ別室に移動し、中山さんへ事前に質問されていました。講演内容を悠仁さまが深く理解できるよう、秋篠宮さまが工夫し、そのような場をセッティングされたのだと思います」(山本さん)

芽生え始めた「天皇のご自覚」

 当時小学6年生だった悠仁さまからは、強い学習意欲が感じられたという。

「宮内庁の方から“悠仁さまが中山さんの本を読まれたいそうなので、しばらく貸してもらえないか”と、お願いされました。夏休みの期間だったので、おそらく自由研究などのために活用されたのだと思います」(同・前)

『対馬丸』の絵本をご覧になる悠仁さまの背後には山本和昭さんの姿も。秋篠宮さまは身振りを交えてご説明を('14年8月)
『対馬丸』の絵本をご覧になる悠仁さまの背後には山本和昭さんの姿も。秋篠宮さまは身振りを交えてご説明を('14年8月)
【写真】お姉さまからお下がりの三輪車をこがれる悠仁さま

陛下や秋篠宮さまと同様に、戦争の悲惨さや、平和の尊さを学ばれている悠仁さま。前出の渡邉さんは、今後のご活躍をこう見据える。

「来年には高校生になられますし、“天皇になる”という自覚が少しずつ芽生えておられることでしょう。過去の戦争に対しても真摯に学んでこられ、祖父母である上皇ご夫妻のお気持ちを受け継ぎ始めておられるのだと思います。今後、海外留学などを通して、多角的な視点も身につけられ、いずれは“平和の大切さ”をご自身のおことばで伝えられるのではないでしょうか」

 前出の山本さんによると、コロナ禍になる前は、秋篠宮ご一家は時折上皇ご夫妻のもとを訪れ、近況を報告されていたという。

悠仁さま戦争に関する行事に出席し、何を学ばれたのか、美智子さまは常に気にかけてこられたと思います。十分な知見を得られた頼もしい“未来の天皇陛下”を、晴れやかな気持ちで見守られていることでしょう」(前出・宮内庁関係者)

“慰霊のバトン”は確かに手渡されているようだ─。