もしもV6がデビューしていなかったら、“K-POPアイドルの日本進出”も大きく変わっていたーー。
1998~2002年ころに日本の歌番組、もしくはバラエティー番組をよく見ていた人なら、その名前にどこか見覚えがあるかもしれない。
女性3人組アイドルグループ「S.E.S.」(エスイーエス)。
しかし彼女たちが頻繁に日本のテレビに登場していたころ、S.E.S.が「韓国では国民的人気アイドルである」こと、そして同時に「本格的な日本進出に初めて挑戦したK-POP女性アイドルグループであった」ことは、あまり認識されていなかったように思う。
彼女たちの日本活動は、その内容を大きく前期・後期に分けることができる。
前期に当たるのは日本テレビ系音楽レーベル・VAPの所属時代(1998~2000年)で、この時期のS.E.S.は“韓国のSPEED”という触れ込みを武器に、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)や『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)のような人気番組に次々と出演。またCDリリース時には『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)エンディングテーマなどのタイアップもしっかりついていた。
しかし華々しい日本デビューから1年以上経っても、彼女たちは結果として期待されたほどの実績を残すことができず、そのうち次第にメディア露出も減り始める。
その中でS.E.S.は日本デビューから約1年半後の2000年5月、音楽レーベル・エイベックスへの移籍を選択。
そしてここで彼女たちが出会ったのが、同じエイベックスに所属していたV6だった。
S.E.S.のメンバー、中でも在日韓国人で日本語が堪能だったシューは、エイベックスの所属時代(2000~2002年)に、V6と数多くの共演機会に恵まれた。
ドラマやミュージカル、ミュージックビデオとその例を上げればきりがないほどで、両者が共演するたびにV6だけでなくS.E.S.の名も日本のテレビから流れたが、その中でも有名かつ最も意味が大きかったのはコラボシングルのリリースだろう。
V6 feat.Shoo(S.E.S.)名義で日本語版/韓国語版の2バージョンが制作された楽曲『one』は、人気ドラマ『ごくせん第1シリーズ』(日本テレビ系)の主題歌である『Feel your breeze』と両A面扱いで、V6の21作目の正規シングルとして発売された。
この当時のS.E.Sはすでに日本の歌番組出演がほぼ消滅している状況だったが、このコラボによってシューは、それまで叶っていなかった『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)への初出演も果たすことになる。
それはまだ韓流ブームもYouTubeも存在しない時代、K-POPアイドルの展開に多くの限界があった'00年代初頭の日本市場で、V6の存在が、孤軍奮闘する彼女たちの可能性拡張に貢献したという最大の証でもあった。
そしてS.E.S.自体はその後、韓国の所属事務所・SMエンターテインメントとの契約満了を迎えた2002年末には解散をしてしまうのだが、彼女たちの5年に及ぶ日本活動は事務所内でその経験が共有され、後輩たちの日本進出時に大いに活かされることになった。
S.E.S.の解散後、やはり韓国のSMエンターテインメントから日本進出に挑戦し、そしてS.E.S.の経験や教訓を反映させたことで歴史的成功を収めたと言われているのが、BoAや東方神起である。
もしもあのとき、S.E.S.がV6と偶然レーベルメイトになっていなければ。
偉大な先駆者である彼女たちは日本活動の経験値がもっと少ないうちに解散していたかもしれず、そうなると後に続く者たちの現在地もまた、今とは大きく変わっていたかもしれない。