もしもV6が「ドリームコンサート2002」に招待されていなかったら、ジャニーズの海外進出は大きく変わっていたーー。

 そしてV6もまた、韓国視点では「韓国で初めてライブパフォーマンスを行った日本のジャニーズアイドル」である。

 ここまでは主にV6とK-POPアイドル史の間接的なかかわりを主題としてきたが、実はV6自身も、直接K-POPアイドル史の中に登場する場面がある。2002年4月、韓国で開催された「ドリームコンサート」への出演だ。

 1995年から始まった韓国の「ドリームコンサート」は、ソウルオリンピック主競技場(約7万人収容)やソウルワールドカップ競技場(約6万5000人収容)といった超大型ライブ会場で開催され続けている、国内最大規模のK-POPフェスである。いわば韓国の若者の「国民的行事」、そのスポットライトをV6は日本人として初めて浴びることになった。しかもここで押さえておかなければならないのは、彼らが向かった2002年の韓国はまだ、日本語の歌がテレビで流せない、CDも公式販売ができないという状況だったことである。

 韓国では過去の歴史的経緯から、長年にわたり、日本の大衆文化輸入が法律で厳しく制限されていた。その方針が変わったのは日韓のワールドカップ共催が視野に入った1998年ころからなのだが、それでも国民感情への配慮から、実際の解禁自体は段階を踏む形でかなり慎重に行われている。V6が「ドリームコンサート」に招待された2002年というのはまさに、そんな複雑な時代の真っ只中だった。「いろいろなところに場慣れしている僕たちでもかなり緊張しました」、これは当時の雑誌連載に記されていた、V6メンバー・井ノ原快彦の率直な心境だ。

 しかし2002年のV6はかつてない緊張の中でも、日本のアイドルとして、結果的に韓国でのステージを無事大成功へと導いた。その事実は当日の反響以上に、後の歴史が立証している。2004年、ついに日本語の歌唱CDが発売解禁された韓国で、V6も初めてCDを正式リリース。2005年、やはり韓国で開催された「日韓友情記念コンサート」にV6が日本代表として出演し、同時にファンミーティングも開催。

 その後の2006年には後輩の嵐が、ジャニーズで初めて韓国での単独コンサート開催を実現させることにもなるのだが、これももし、それまでのV6の成功が無ければ、続く歴史の形はまた大きく変わっていたのではないだろうか。

 そしてV6自身も、2009年には初めて韓国で単独コンサートを開催している。平均年齢25歳で初めて韓国のステージに立ってから7年、平均年齢32.6歳に成長していた日本のアイドルは、全員が約2メートルの高さから見事なバク宙を披露し、韓国のファンたちを一瞬で熱狂させた。

 まだ平成が始まって間もなかった1995年から、ずっとアイドルシーンのトップを走り続けてきたV6。その功績というのは日本国内の視点だけでも充分に語ることが可能なのだが、アイドルのグローバル化が著しい近年では、「アジアアイドルへの影響」という視点でもV6の偉大さが改めて浮かび上がってくる。

 一人も欠けずに到達したアイドルの“勤続26年”。その言葉にある重みは、やはり伊達ではない。しかもV6は、今この瞬間でさえも、新たな歴史をアイドル界に刻み続けている。グループ解散まで残り2か月となる今、リリースされる新作アルバムも、収録曲は全て新曲、全てメンバープロデュース作品なのである。

 変わらぬ関係性と変わらぬ笑顔、そして同時にプロとして、全員が最後までクリエイティビティを追求し続ける姿勢。

 あと2か月、もしくはまだ2か月。

 今の私たちには、そんな偉大なアイドルの歴史を目撃するチャンスが残されている。


参考文献:金成玟著『K-POP 新感覚のメディア』岩波書店/井ノ原快彦著『アイドル武者修行』日本経済新聞出版

乗田綾子(のりた・あやこ)◎フリーライター。1983年生まれ。神奈川県横浜市出身、15歳から北海道に移住。筆名・小娘で、2012年にブログ『小娘のつれづれ』をスタートし、アイドルや音楽を中心に執筆。現在はフリーライターとして著書『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)を出版しているほか、雑誌『月刊エンタメ』『EX大衆』『CDジャーナル』などでも執筆。Twitter/ @drifter_2181