両親が言い争う修羅場を目の当たりにして人生が変わった。唯一味方だった父親と弟が自死、実母とは絶縁状態に……。「うちの家族はみんな残念なんです」マナー講師として伝えたいのは“型や作法”ではなく、人が争わず柔軟に生きるための「思いやりの心」。「ハッピー」という決まり文句には、強い信念が込められていた──。

「マナー界のカリスマ」の講義の実態

 東京都・町田駅に近いアルファ医療福祉専門学校で、ある講義が始まろうとしていた。

 30人ほどの受講者の前に立ったのは、マナーコンサルタントの西出ひろ子さん(54)だ。よく通る声が教室に響く。

「人と人が出会ったとき、まず“第一印象”が発生します。さて、みなさんの隣の人のことをどう思ったか教えてください!」

 数分後、何人かがそれぞれ隣にいる人の第一印象を話す。

「オーラがあって元気な印象」

「頷きながら話をよく聞いてくださる人だなと思いました」

「はい、ありがとうございます。みなさん、いろんな第一印象を持ちましたね。実は同時にみなさんも相手から何かしら印象を持たれたのです。人から自分がどう思われるのか、これってドキドキしますよね。第一印象は、まず視覚から入ってきます。頭の先から足先までが第一印象として相手に伝わります。実は相手から全部見えちゃっていますよ。どんなふうに座っているのかまでね。それによって印象は変わっていきます」

 大きな笑顔の話し手につられて、受講生の表情も穏やかなものになっていく。

マナーという言葉は英語なんですが、日本語にするとどうなるでしょう?」

「……作法?」

「約束事かな」

「礼儀だと思います」

 当てられた人が立ち上がって答えていく。

「そうですね。実は日本語に直せば、マナーは『礼儀』という意味。『礼儀』の『礼』という字には『思いやり』という意味があります」

 ちなみに『儀』の字は『型』を意味するが、“思いやり”が抜け落ちた型や作法は「マナーとは言えない」と、ひろ子さんは強調した。

 講演会でいつも伝えているのは、『マナーの5原則』。(1)表情(2)態度(3)挨拶(4)服装・身だしなみ(5)言葉遣いだ。

「その人の内面は目の『表情』に表れます。目の表情をよくするには、いつも気持ちをハッピーにしておくこと。『態度』も気持ちの表れです。常に相手のことを思っていれば、どんなに疲れていても、姿勢は正される。例えば椅子の座り方。座面の半分のところにお尻を置いてみる。すると背もたれを使わないので自然と脚、ひざも足先も閉じちゃうでしょ? 少し意識するだけで印象は変わるんですね」

「正解」や「マニュアル」を教えるような言い方を避け、気持ち次第で言動は変わるのだと穏やかに話す。

「『挨拶』の漢字は“心を開いて近づいていく”という意味。じゃあ、どっちから心を開くか。そう、自分からですよね。これを“先手必笑”と私は言います。自分から挨拶を心がける。挨拶をされたら相手はハッピーになる。その喜びが自分もハッピーにしてくれます。ビジネスでは“ウインウインの関係”と言いますね。

『服装・身だしなみ』のポイントは清潔感と機能性です。

『言葉遣い』は相手の立場に立って、相手をハッピーにして差しあげるんだという思いを軸に話すように心がけてみてくださいね

 講義中、ひろ子さんは「ハッピー」という言葉を何度も口にした。

「具体的な作法や型にこだわるより、マナーには、自分も相手も幸せにする力があることを知ってほしい」

 西出ひろ子さんの著書は97冊以上、「マナー界のカリスマ」と称され、メディア出演、講演をはじめ、その活動は多岐にわたる。

 近年は大河ドラマや映画のマナー監修の仕事を引き受けることも多い。撮影現場に立ち合うと、マナーが素晴らしい役者に感激することがあるという。

 NHKドラマスペシャル『白洲次郎』('09年)で白洲正子役を演じた中谷美紀もその1人。

「私が言うところの“マナー”、要するに周りに対する配慮、心遣いが素晴らしかった」

 ひろ子さんにとって、『白洲次郎』は、ドラマに携わる初めての仕事。何をしていいかわからず、端っこに立っているしかなかったという。 

 そのとき、中谷に「先生!」とみんなの前で呼ばれた。

──ワイングラスの持ち方はこれで大丈夫でしょうか?

「中谷さんは、本当は知っているはずの作法をわざと聞いてくれているのがわかりました。みんなの前で『この人はマナーの先生だよ』ということを自然にアピールしてくれた。なんて優しい人だろうって思いましたね。

 撮影が終わるたびに毛筆で達筆な心あるお手紙も頂戴しました。今でも宝物として書斎に飾ってあります」

 また、ある現場で不本意な対応をされたときは、椎名桔平が間に入ってくれたという。

「リハーサルのとき、裏でちゃんと伝えたことを現場スタッフが間違えると、監督から叱られるのは私です。すると、椎名さんが『先生はこうしてくださいって言ってましたよね』とフォローをしてくださる。そんな気配りをする人は、マナーの型もさることながら、その本質をよくご存じの方なんですね」

 NHKドラマ『岸辺露伴は動かない』('20年)の主人公、高橋一生は、前向きな姿が印象的だったと明かす。

「役柄の中での動作や所作について『これでいいですか?』とすごく積極的に質問されました。よい作品にしようという気持ちが伝わってきました」

 実は、こうした現場では、マナーの指導を快く思わない役者もいるという。

「恥ずかしくて聞けないというか、聞いたら自分が負けみたいな考えの人もいる。『これ、知ってるから!』と無視する方もいらっしゃいますね」

 一般的に、「マナーをわきまえない」「育ちが悪い」「礼儀がなっていない」という言葉をよく耳にする。そして、「マナー」は、時に人を貶める「ものさし」のように捉えられる節がある。

「〇〇してはいけない」「〇〇すると失礼にあたる」「〇〇はNG」……。メディアに出演するマナー講師は「叱る人」というスタンスを求められ、そのイメージから“マナー”への警戒心が高まっている側面もあるという。

 しかし、ひろ子さんは頑なに「マナーとは、『心』と『思いやり』を行動で示すもので、マナーに正解はない」と説く。

 そんな彼女がマナー講師になった原点は、意外にも“両親の離婚”だった──。