在仏50年。かの地でその実力と貢献が認められ、芸術文化勲章とレジオン・ドヌール勲章を受章した松井守男さん。失意からの渡仏、才能ゆえに巻き込まれた度重なる嫉妬の渦、希代の天才芸術家・ピカソとの交流━。日本滞在中にコロナ禍で戻れなくなり、その間、彼が母国に対し何ができるか考えたこととは。『光の画家』の軌跡と今後を見つめる━。

「光の画家」と称されたピカソの愛弟子

 2016年、フランス最高の勲章であるレジオン・ドヌール勲章を北野武が受章した。北野は1999年と2010年にフランス芸術文化勲章も受章しており、それもあって大きな話題を呼んだ。

 しかし、その13年前、北野とは違い、フランスに根を張り活躍したうえで、芸術文化勲章とレジオン・ドヌール勲章を受章している日本人がいる。

 彼の名は、松井守男。

「光の画家」と称され、天才芸術家ピカソの最期の時代、彼のアトリエに5年間通い続けた“愛弟子”でもある。ウソのようなホントの話。そんな日本人が存在していたにもかかわらず、なぜ私たちは今まで知らなかったのか? 

「僕は、ここ日本で画家として認知されるために欠かせない『美術年鑑』に載っていないんだよね。日本では煙たがられているんだろうなぁ。だから、僕の存在はまるで都市伝説のようになってしまった!

 ケラケラと笑う姿からは、まったく巨匠らしさを感じない。むしろ、チャーミング。威厳とは真逆にあるだろう愛嬌たっぷりに話す様子が、なおのこと「本当にこの人はすごい人なんだろうか?」という邪推につながる。

「僕は権威とか大嫌い(笑)。日本にいると、『先生、もう少し大物らしく振る舞ってください』って言われるんだけど、余計なお世話。権威こそ、ものの見方を狂わせ、正しい評価を失わせる魔物なんだ」

松井守男さん 撮影/伊藤和幸

 松井は現在、フランス皇帝ナポレオン1世の出身地として知られるコルシカ島にアトリエを構え、暮らしている。在仏50年。柔らかい口調は、女性的なフランス語の語感が、癖として日本語に伝染してしまったせいらしい。長崎県五島列島に小学校の廃校を改修して作り上げたアトリエがあるが、ほとんどの日々をフランスで過ごしている。

 ところが、日本に帰国した際、新型コロナウイルスが世界的に大流行する。日本とは比較にならないほどの感染者数を記録したヨーロッパでは、ロックダウンをはじめとした徹底的な対策が行われた。松井は、愛してやまないフランスへ帰ることができなくなった。

「自分の中で置き去りにしていた母国・日本と、結果的に向き合う時間になった。ピカソはよく言っていた。『人間というのはそんなに変わらない。大事なのは環境なんだ』と。導かれるために何をやるか。ゴッホの『ひまわり』は南仏、ミレーの『晩鐘』はパリ郊外。どちらもなんてことのない場所。ピカソは、『その場所に導かれた彼らがすごいんだ』と話してくれた。日本での長逗留(とうりゅう)は、導かれたものだったのではないかと思うんだ」

 日本滞在中、松井は精力的に動き続けた。京都にある黄檗山(おうばくさん)萬福寺では襖絵を制作し、東京の神田神社(神田明神)ではライブペインティングをはじめ数々の創作活動を行った。

 自らの半生と思考を綴った書籍『夕日が青く見えた日』(フローラル出版)を上梓(じょうし)し、'21年1月には『日曜美術館』(NHK)にて特集が組まれ、高視聴率を記録した。

「ようやく日本でも知名度が上がってきたかも。ハハハ!」

 “日本で最も知られていないだろう最も偉大な日本人画家”─、松井守男はなぜ今まで知られていなかったのか。彼の画家人生は、先入観や偏見を破壊し刷新する一筋の光から始まる。