一方、アイドル系でも一発屋的な人がいる。例えば『僕笑っちゃいます』(1983年)の風見しんごだ。歌よりもダンスや笑いが売りだったが、隙間狙いの戦略は長続きしなかった。

 それでも、第4弾『涙のtake a chance』で見せたブレイクダンスは語り草だ。最近も『中居正広のダンスな会』(テレビ朝日系)で当時の映像が紹介され、ネットをざわつかせた

 ちなみに、風見はデビュー前、劇男零心会という集団に属し、原宿で踊っていた。この集団はその後、劇男一世風靡となる。そのメインメンバーたちが結成したのが、一世風靡セピアだ。1984年にデビュー曲『前略、道の上より』がヒット。哀川翔や柳葉敏郎がここから大成していった。

 また、この時期はチェッカーズがアイドルバンドとして絶大な人気を誇ったが、二匹目のどじょう的な感じで売れたのが『バージンブルー』(1984年)のSALLY。こちらはチェック柄ではなく、市松模様の衣装で歌ったりした。

 そして、カルロス・トシキも忘れられない存在だ。杉山清貴&オメガトライブから杉山がソロになるにあたって、1986オメガトライブとして再出発した際、ボーカルとして加入。デビュー曲『君は1000%』(1986年)などをヒットさせた。日系ブラジル人で、童顔と片言という甘いテイストで人気者に。現在はブラジルで農業に従事し、ニンニクの品種改良などをやっているという。

「クロマティに似てるほう」

 女性では、BaBeというアイドル的デュオもいた。業界ドラマ『アナウンサーぷっつん物語』(フジテレビ系)の主題歌『I Don't Know!』(1987年)がヒット。ただ、翌年デビューのWinkほどにはメンバーの名前を覚えてもらえず「クロマティに似てるほう」「富田靖子みたいなほう」などと呼ばれていたものだ。

 ところで、1980年代は広告主導の時代でもあった。CMのキャッチコピーがそのまま歌になり、ヒットしたケースも多い。

 中原めいこの『君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。』(1984年)はその典型だ。カタカナ系の食べ物が憧れだった時代の空気も反映されている。

 同様に、カタカナ系の職業も憧れの対象に。スタイリストにコンサルタント、さらには空間プロデューサーを名乗る人もいた。そんな世相から生まれたのが、ややの『夜霧のハウスマヌカン』(1986年)だ。

 おしゃれな仕事に見えても、食事はシャケ弁当だったり、カリアゲヘアは毛を剃るのが大変だったり、などなど、その実態をおちょくった内容。歌ったのが、ポップス出身なのに北島三郎に拾われた苦労人の女性歌手だったところも含め、なんでもあり的な1980年代を象徴する一発ヒットである。