悠仁さまの夏休みの計画は、紀子さまがすべて主導されているそうです。公務などの合間で殿下もお供されることもありますが、基本的に妃殿下が付き添われているのはそういった理由もあるのです。戦争関連の訪問が目立つのも、上皇ご夫妻のご意思を汲みとった紀子さまが、戦争への見識を深めるべきだというご意向が働いています。

 '17年の夏休みにも、紀子さま悠仁さまを連れて小笠原諸島の父島や母島を訪れ、塹壕(ざんごう)や軍道など戦争の痕跡を巡られました。'18年の夏には宮邸に昭和史研究家を招き、戦争の歴史をお聞きになり、悠仁さまは“原子爆弾はなぜ広島に落とされたんですか”などと、強い関心を持ちながら質問されたそうです」(前出・秋篠宮家関係者)

過酷過ぎる山に「登りたい」

 昨年、福岡県北九州市が主催した『第12回子どもノンフィクション文学賞』の中学生の部で、小笠原諸島を訪れた際の思い出を悠仁さまがまとめられた作文が、佳作に選ばれている。

「ウミガメの赤ちゃんを見たことや小笠原に伝えられる『南洋踊り』を体験したこと、戦没者慰霊碑に花を供えたことなどが丁寧に描かれていました。5日間の滞在最終日には現地住民たちが海に飛び込んで見送ってくれたことにとても感動されたそうです」(前出・皇室担当記者)

 紀子さまは、戦争に関する教えや小笠原での体験などを通じて、工夫を重ねながら妃殿下なりの“帝王教育”を体現されてきた。その中でも、皇室関係者を驚かせたのは、'18年夏の槍ヶ岳登頂だった。

「北アルプスにある標高3千メートルを超える『槍ヶ岳』の山頂は“槍の穂先”と呼ばれ、岩場をはしごや鎖を使ってよじ登らなければならないほど過酷な山。当時小学生だった悠仁さまにとっては難易度が非常に高く、危険も伴うので“未来の天皇でいらっしゃる悠仁さまに何かあったら……”と、心配の声が上がっていました。

 ただ、さすがに槍ヶ岳登頂前には『八ヶ岳』や『妙義山』などで練習を重ねており、悠仁さまご自身も“槍ヶ岳を登りたい”との希望がおありだったのです。結果的に登頂された悠仁さまは、達成感に溢れて喜ばれていたと聞きました。登山といえば天皇陛下のご趣味でもありますから、紀子さまとしても悠仁さまに登山を通じて得られるものがあるとお考えになったのだと思います」(前出・秋篠宮家関係者)

 春から高校生となられる悠仁さまは、着々と“天皇への道”を歩まれている。