性的虐待に自殺未遂

 かつて児相に勤めた経験のある沖縄大学の山野良一教授(児童福祉)は、

「支援先として頼るのは児相だけでなく、学校でもいいし、スクールソーシャルワーカーもあります。以前よりは敷居が低くなっていると思います。児童館やこども食堂などの居場所が機能していればそこでもいいと思います」と述べる。

 希咲未來さん(21)は両親から虐待を受けた。母親からは「おまえなんか産まなきゃよかった」と言われた。

「食事を作ってもらえず、病気のとき病院に連れていってもらえませんでした。心理的虐待もネグレクト(養育放棄)もあったんです」(未來さん、以下同)

 父親からは暴力を振るわれた。

「2階の階段から突き落とされたことがあります。けがをしても放置でした。殴られてストーブにぶつかり、やけどをしたこともあります」

 中1のころ、支援団体にメールをした。ただ、学校でいじめを受けていたことを伝えただけで、家族のことは話さなかった。同じころ、父親から性的虐待を受けるようにもなる。

「『人生終わった』と思いましたし、感情を遮断していました。父親には『言うなよ』と言われましたので、周囲には言いませんでした。ただ、保健の授業を聞き、父親にされたことの意味を知りました」

 担任には家庭のことを話さなかったが、苦しみを表現したリストカットを“自殺未遂”と思われ、精神科に連れていかれた。その後、スクールカウンセラーと両親が情報を共有することになるが、虐待のことは出なかった。

「学校のアンケートに『家がつらい』と書いたことがありますが、親に見せられてしまいました。'19年に起きた野田市で栗原心愛ちゃんが死亡した事件ではアンケートを学校が父親に渡していたことがニュースになりましたが、一緒じゃん、と思いました」

 その後、養護教諭に「家に帰りたくない」などと話すと、察してくれたため、児相につなげてくれた。しかし、十分に話を聞いてくれず、両親の元へ戻されてしまう。

 虐待に耐えきれず、家出をした。保護されては家に戻され、父親に殴られ、また家出。出会い系サイトで知り合った男性の家にも泊まった。

「児相の職員よりも、歌舞伎町で出会った人のほうがよっぽど話を聞いてくれた。それが悪い誘惑だとしても日本の福祉は、夜の街の人たちに負けていると思います」

「20歳で死にたい」と思っていたところ、知り合った支援者たちに声をかけられ、沖縄にも行った。

「話を聞いてくれる人に出会いました。沖縄でも、ずっとそばにいてくれたし、休むことができた。大人はまずは子どもの言うことを信じてほしい」

 NPO法人東京メンタルスクエア(東京都豊島区)のSNS相談には、'21年中に延べで約9万件のアクセスがあり、2万7499件に対応した。うち、「虐待」と判断できたケースは約1%の477件。「自殺念慮」(878件、約3%)よりは少ない。

 私たちにできることはSOSを受け止めること。それが環境を改善する第一歩だと感じた。

取材・文/渋井哲也
ジャーナリスト、ノンフィクション作家。インターネット、サブカルチャー、援助交際、自殺、生きづらさなどをテーマに取材、執筆を行うほか、大学でも教える