コロナ禍で「来賓なし」に、どうだった?

 そして、コロナ以降。やはり「来賓なしの卒業式を実際に経験して、よかった」というコメントが、たくさんありました。

●式典には何度も参加しましたが、コロナ後の卒業式が一番良かったです。来賓をやめ祝辞やらなしにするだけで、卒業する子ども達が主役になりましたし、先生方が子ども優先で工夫を重ねた様子が伝わり感動しました

●一斉休校中の高校の卒業式、中学の卒業式が1時間くらいで終了したのは、良かった。来賓の祝辞もなかったし、毎年これでいい! と思いました

●「来賓」の一部にいる「式典の時だけ来て細かい文句を言う人たち」を招待しなくてよくなった、のが一番大きい。選挙前だけ来る分かりやすい「来賓」もいた

 ほかたくさんの同様のコメントを見ていると、「どうして今まで来賓の挨拶があったのか?」とすら思えてきます。一部の保護者や先生、あるいは来賓自身の要望だったのか? あるいは「来ていただくからには、挨拶してもらう場をもうけねば、失礼にあたる」という忖度が、慣習的に続いていたのでしょうか。

 さらに、来賓が出席することによって、式全体が「来賓の評価を気にするもの」になっていたことも、コメントから浮かび上がってきました。

●一番卒業式の批評をするのは実は地域の議員だったりする。しかも、教育委員会を相手に批評するので、校長が指導されることに。整然としていないと教師の評価が下がる

●来賓って地域の重鎮だったりするから、管理職もPTAも、粗相があってはいけないと接待でピリピリします

●見映えばかりを意識しすぎて生徒の卒業というよりか来賓などに対してのお披露目式のようでした

 気を遣うのは、式のときだけではありません。準備の段階でも、担当の先生は、来賓対応にかなりの労力を割いてきたことがうかがえます。

来賓を呼べなくなったことは、大変な業務削減になりました。招待状の発送。出欠席確認。受付での対応。席順の気遣い。礼状の発送。議員連中の振る舞いには困ってました

 取材でも、ある先生からこんな話を聞きました。式のあと、ほかの人の靴を履き間違えて帰りトラブルになった来賓がいたため、翌年度からは「靴箱係」の生徒をつけて番号札を渡すことになった、とか。

 筆者も以前、卒業式の直前に「印刷物に名前がない」と言い出した来賓を前に、担当の先生が真っ青になっているのを見かけたことがあり、深く同情した思い出があります。

 そして最後にもうひとつ紹介したいのが、このコメント。「来賓」の立場の方からのものです。

●民生委員をしています。驚いたのは、民生委員にも卒業式の招待状が来たのです。幸か不幸か、コロナ禍で招待客を制限するとのことになり、出席しないでとのことに。そんなに大勢の来賓が必要なのか。そして、一人一人の紹介で多くの時間。卒業生には見たこともない人たち。もっと身近な人だけで十分だと思います

 「来賓」とされる人たちのなかには、この民生委員さんのように「招待されたので(断るのもなんだし)出席している」という人も、おそらく少なからずいるのでしょう。

「自分を来賓として呼んでくれなくていい」と思っている人や、コロナで招待がなくなってほっとしているという人も、実は意外と多いのかもしれません。