一生懸命やり続けてきたから、今がある

 地元・三重の女学校を卒業した後、赤十字の看護学校へと進んだ。これが看護師としての長いキャリアの始まり。当時の日本は、太平洋戦争開戦時。赤十字病院では外科に配属され、戦闘で負傷した重傷者が次々に運び込まれてくる惨憺たる状況を経験した。終戦を迎えるまでの約2年間、負傷兵の看護や食事介助、時には銃で撃たれた人の腕から弾丸を取り除く手術の助手も務めたりしていた。

 このころの日本といえば、上下関係が特に厳しく、まさしく軍隊のようであったときぬさんは振り返る。それが当たり前であったためか、嫌だとか、逆らいたいとは一度も思ったことはないという。逆に「その経験のおかげで規律のある生活が身に付いてよかったと思っています」

 56歳のときに20年間近く勤めた病院を定年退職。しかし、まだまだ元気で働きたいという思いがあり、その後もさまざまな病院や施設で総婦長や責任者として働き続けた。さらに、75歳で三重県最高年齢でケアマネジャー試験に合格。88歳で現在の「いちしの里」で働き始め、93歳のとき、80歳以上の医療関係者を顕彰する「山上の光賞」を受賞した。

「一日の勤務で担当する入居者さんは6~7人。寝たきりの方や認知症の方などいろいろな方がいますよ」
【写真】97歳の現役看護師・池田きぬさんの働いてる姿

「そのお年まで働き続けるなんてすごいですね」、出会う人たちはみんな口々にそう話す。それに対するきぬさんの思いは「すごいことなんてひとつもありません。ただ目の前にある仕事をしてきただけ。仕事があるうちは働かねばという使命感」という。

 現在働いている「いちしの里」の入居者は、ほとんどが年下。きぬさんの働く姿を見て、自分もリハビリを頑張ろうと生きる目標にもしてくれるそうだ。

 健康寿命が延び、長い人生をどう充実して生きていくか。

「60歳までは会社にしがみつき、65歳からは自由に旅行などして」などこれまで当たり前と考えられてきた年相応という考え方、働き方や生き方は意味をなさなくなっている。

「なにをしたら自分は楽しいのか、幸せなのか、自分の心の声と向き合い、自分の性に合った人生を選びとっていくことができたと思います」

 きぬさんの生き方は、私たちに希望を与えるお手本だ。

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【取材・文/小山御耀子(オフィス三銃士)】