「死者に対する冒涜」にハンストで抗議

 '21年3月1日から6日まで、沖縄県庁前の「県民広場」で、具志堅さんはハンガーストライキの座り込み抗議を決行した。

 自らを励ましに訪れる多くの県民やマスメディアの記者、筆者のようなフリーランスの取材者に対して、具志堅さんは口を酸っぱくして、こう語り続けた。

「世の中には“間違っている”と言い切れることは、そう多くありません。しかし今、国がやろうとしていることに対しては、“間違っている”と断言できます。これは死者に対する冒涜です」

 '20年4月、政府(防衛相沖縄防衛局)が辺野古の新基地建設に使う埋め立て用土砂を、県内南部(主に糸満市・八重瀬町)から大量に調達する計画があると知り、具志堅さんは怒りを禁じえなかった。

 その年の9月には、ついに糸満市米須のかつての激戦地の丘陵の森が切り崩され始めたことに気づき、遺骨発掘に入り、11月初旬には「熊野鉱山」と名づけられた採石場で遺骨を発見・収容し、もはや居ても立ってもいられぬ心境に至った。そうして具志堅さんは、ハンストでわが身を削ってでも、この理不尽な現実を世間に訴える、その覚悟を決めたのだ。

 具志堅さんがハンストを決行しつつ行政側に求めたことには、明確な2つの柱があった。

 1つは、沖縄防衛局による南部の土砂採取の断念。もう1つは、沖縄県知事は自然公園法33条2項による採石事業中止命令を発令すること。

 ハンスト中、連日マイクを握って県庁舎のビルを見上げ、「(沖縄県知事の)デニーさん、助きてくみそーれ!(助けてください!)」と呼びかける具志堅さんの姿は鮮烈な印象を残した。

今年6月22日、23日と2日間のハンストを決行。具志堅さんのもとへ玉城デニー知事が激励に 撮影/渡瀬夏彦
【写真】ハンストの場へ激励に来た玉城デニー知事

 そんな具志堅さんの思いに、ハンスト以前の早い段階から応答していた人たちがいた。『平和をつくり出す宗教者ネット』だ。キリスト教徒、仏教徒らが中心となり、沖縄の神人も加わり、宗派を超えて、具志堅さんに寄り添う行動を昨秋の時点で開始している。以来、糸満市の現地視察、慰霊祭、あるいは永田町の国会議員会館での記者会見、報告会、学習会などを何度も重ねてきている。

 事務局を仕切る日本山妙法寺僧侶の武田隆雄さんは、あるとき筆者にこう語った。

「仏教徒が御骨を大切に考えることは当然ですが、私たちは、この問題を通じて知った具志堅さんの考え方に感銘を受け、その声をぜひとも広めなければならないと思いました。具志堅さんの言葉には、あの阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さん(※)に通じる、思想信条を超えた非暴力の平和運動の尊さを見る思いがします」(※伊江島で非暴力抵抗の反米軍基地闘争を展開するなど、戦後沖縄の平和運動の象徴的存在)

 宗教者が広めたいのは、具志堅さんの次のような声であろう。それは筆者自身もハンストの現場で、あるいは学習会などで、直接何度も聴いてきた話だ。

「戦争の犠牲者の遺骨のまじった土砂を海に投げ入れて、新たな軍事基地をつくるなんて、これはもう死者への冒涜です。遺族にしてみれば、まだ自分たちのもとへ帰ることができないでいる身内を、2度殺されるようなものです」

 具志堅さんは昨年、防衛局に沖縄南部の土砂の採取計画を中止するよう要請を行ったとき、職員らにこう言った。

「“あなたたちは、あの場所に遺骨があるとわかっていてこういう計画を立てたのですか。そうだとすれば、完全に人の道に外れたことをしていますよ。今、私はかなり厳しい言葉を突きつけているわけだけれども、反論があるならどうぞ言ってください”と。しかし、防衛局のお役人からは、悲しい反応しか返ってきませんでした」

 彼らは「辺野古埋め立て用土砂として今後の採取地や業者はまだ決まったわけではない。業者が適切な方法で土砂を採取するものと思う」と、菅前首相の国会答弁と同じ話を繰り返す以外には、何も言わず黙ったままだった。つまり、わかって計画していると認めているに等しい態度。具志堅さんはこう続けた。

「これは基地に賛成とか反対とか以前の、人道上の大きな問題です。保守とか革新とか党派とか、政治的な立場も関係ありません。国は、死者への冒涜をやめるべきです。遺骨のまじった土地の土砂を採取すべきではありません」

 ハンスト初日、具志堅さんは報道陣を含む多くの来訪者への対応に追われていたが、筆者はわずかな時間、テント小屋に座り込んだ具志堅さんの眼前の地べたにあぐらをかく格好で正対し、会話を交わすことができた。そのときの言葉も、感慨深いものがあった。

ハンストの場には前参院議員の糸数慶子さんの姿も。さまざまな人が表敬訪問した 撮影/渡瀬夏彦

 まず具志堅さんがこう語った。

「激戦地だった場所に眠っているのは住民の遺骨だけではありません。日本兵も米兵も、台湾や朝鮮から連れてこられた人たちも、そこに眠っています。みんな家族のもとへ帰りたいはずです。住民も兵士も、遺骨となって眠っている人たちは、みんな戦争で殺された犠牲者なんです。人種で差別などしてはいけません」

 筆者は、少し時間をおいてから(単に訪問者が多すぎて対話を中断したのだが)、こう問うた。

「具志堅さんはウチナーンチュ(沖縄の人)として、理不尽かつ悲惨極まりない戦争に巻き込まれたウチナーンチュの尊厳を守りたいという思いも当然お持ちのはずですが、長きにわたって遺骨収集をされている中で、日本兵にも米兵にも守られるべき尊厳がある、という考えに至ったのは、いつごろからですか」

 具志堅さんの返答は早かった。

「それはやはり、初年度からですよ。ガマで遺骨と向き合って、戦争で殺された人はみんな犠牲者なんだとつくづく思いましたよ」

 具志堅さんの想像力、もっと簡単に言えば、人を思いやる力は、すごい。

 骨が横たわっている形や場所から、その人の最期の状況を想う。その人は、どんな思いで、何を叫びたくて、このガマで死んでいったのだろうか。臨終の姿をリアルに思い描きつつ、具志堅さんは祈り、そして遺骨を収容する。

 以上のことは、念願かなって具志堅さんの遺骨発掘の現場に同行させていただいたことで、痛いほど実感できた。