しかししばらくすると、月曜日の朝は、トイレから出てこなくなりました。遅刻してはいけないので、彼のことはあきらめて、1人で学校に行きます。学校が終わった帰りにその子の家に寄ると、「休みの次の日が難しい」と聞かされます。

 当時の北浦さんは、情熱さえあればいいと思っていました。「じゃあ、日曜日の夜は、俺の家に泊まれよ。それで月曜日の朝、いっしょに学校に行こう」と提案します。

 1回は泊まりに来てくれました。でも3回目のお迎えの日、事件が起きます。「もう北浦先生の家には行かない」と宣言し、父親に包丁を向けたというのです。

「お父さんからそれを聞いて、俺は何をやっていたんだと、ようやく自分の浅はかさに気づきました。よかれと思って、かえってこの子たちを苦しめていたんじゃないかって……」

 またあるときは、他人の目が気になって教室に入ってこられない女子生徒がいました。教室に入ってもらわないと単位は出せない。そこで担任は、週末の自宅に彼女を招き、家族ぐるみでもてなしました。明るく、楽しく、「教室なんて怖くない! 明日から頑張ろう!」とやってしまった。

 内にこもってしまうタイプの子は、「NO」と言えません。やさしくて、いい子だから。その場で彼女には、「頑張ります」と言うほかに選択肢がありませんでした。でも頑張れるなら、とっくに頑張っていたはずです。それができないから苦しんでいたのです。

 やっぱり、教室に入れなかった女子生徒はますます自分を責めました。そして北浦さんに打ち明けます。「あんないい先生を私は裏切ってしまった」と。教室に入りたくても入れないという心の重しのうえに、さらに、あんないい先生を裏切ってしまったという重しが増えてしまったのです。

 この心理構造を理解していないと、内にこもってしまうタイプの不登校の生徒には対応できません。そういうタイプの子どもに「俺についてこい」はやってはいけないと北浦さん。発達障害の子どもたちも多くの場合そこに含まれます。

不登校への対応は教員だけでは無理

 1970年代の当時、不登校は登校拒否と呼ばれていました。いい子たちだけれど心が弱いんだと、一般的には解釈されていた。だから心を鍛え直さなければどうしようもないんだと。本人の問題なんだから、退学もやむをえないと。