当時スーパーアイドルだった近藤真彦に「かばん持ちをさせてほしい」と直談判。そのころ、中村さんは中学3年生で、ジャニーズJr.のスター予備軍が自ら付き人を志願するなど異例のことだった。

「やはり近藤さんは出ている番組も超一流で、見ている世界が全然違った。例えば月曜はまずNHKに行って『レッツゴーヤング』の音合わせをして、次は渋谷公会堂で『NTVトップテン』の音合わせ、フジテレビの『夜のヒットスタジオ』へ行き、NHKに戻って今度はカメリハをして、一巡したらまたNHKに戻ってランスルー、一巡して本番と、1日中駆け回ってる。スケジュールが過密すぎて間に合わないこともあるから、僕が近藤さんの代わりに舞台で衣装を持って照明合わせをしたり……。トップの現場というものを学ばせてもらいました」

 付き人期間は2年半あまり。そこで得た経験値は大きく、後に自身のトップアイドル時代に、後輩の国分太一を付き人として短期間ではあるが迎えている。

「まだTOKIO結成前でした。太一は僕より7歳下で、近藤さんの付き人をして僕がいろいろ学んだように、現場というものを彼に見せてあげたかった。オーストラリアのロケにも連れていって、スタッフが“太一も出ちゃえよ!”なんてけしかけるんだけど、“コイツはこれからスターになるんだからダメ!”なんて言ってましたね(笑)」

同期にミポリン、ナンノ、斉藤由貴ら

 付き人時代に憧れていたNHKの歌番組『レッツゴーヤング』のオーディションを受け、17歳のとき合格。番組のオリジナルグループ『サンデーズ』の一員となり、お茶の間の認知を高めていく。そんななか転機となったのが、ハウス『バーモントカレー』のCM出演。西城秀樹さんの後任として看板キャラクターに起用され、大きな注目を集めることとなる。

'85年のヤング歌謡大賞新人グランプリで優勝したときの中村繁之さん。'85年組のアイドルも多く激戦だった
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「CMのオーディションは4次審査まであって、毎回ジャニーさんが付き添ってくれました。時間が空くとジャニーさんはたいていパチンコに行くと言い出して、僕は横でそれをずっと見ているんです(笑)。あるとき景品で目覚まし時計をとってくれて、長いこと大切に使っていましたね。CMが決まったときはジャニーさんもすごく喜んでくれました」

 CM契約をきっかけに、ソロデビューが決定。同期には、中山美穂、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯など錚々たる顔ぶれがそろう。“花の'85年組”と呼ばれるアイドル黄金世代だ。続いて翌1986年にフジテレビの連続ドラマ『な・ま・い・き盛り』に出演。幼なじみの高校生男女の恋の行方を軽快に描いたラブコメディーで、中山美穂の相手役を演じ、正真正銘トップアイドルの仲間入りを果たした。だがいくら注目を浴びようと、自身に売れっ子という自覚はなく、世間の感覚とのズレを常に感じていた。

「どんなにキャーキャー言われても、売れたという意識はなかったし、まったく舞い上がってはいませんでした。周りに自分より売れている先輩があまりにいすぎたから、いつも落ちこぼれの気分で。いつかブレイクできたら……、とずっと思い続けていました」