引退生活を変えた1本の電話

 日本に暮らす岡島さんの母が90歳を迎えるころ、認知症が進行し、施設に入所することになった。岡島さんは日本に戻る必要が増し、毎年少しずつ仕事を抑えるようになり、2019年に引退。引退後、世界中をコロナが襲った。

「引退したら、夫と2人でゴルフや旅行を楽しもうと思っていたのに、外出できなくなりました。仕方がないから、家でお菓子作りや料理を楽しんだり、マスクを作ったりして過ごしていたんです」

 そんなある日、突然電話が鳴った。日本サッカー協会の今井純子理事(女子委員会副委員長)だった。

「日本に女子サッカーのプロリーグができます。そこで、ぜひ代表になってほしいのです。代表を務められるのは、岡島さんしかいない」

 今井さんは何年も女子委員長を務め、誰よりも女子サッカーを知っている人物だ。

 岡島さんはサッカー関係者にも人脈が広く、ビジネス経験も豊富だった。新しく女子サッカーのプロリーグを立ち上げるためには、持続可能な組織となるよう、代表者の経営的なセンスも欠かせない。

チェア退任のスピーチを終えた後、週刊女性の取材に4時間答えてくれた。パワフルな人柄に圧倒された 撮影/伊藤和幸
チェア退任のスピーチを終えた後、週刊女性の取材に4時間答えてくれた。パワフルな人柄に圧倒された 撮影/伊藤和幸
【写真】WEリーグ開催時「日本のジェンダー平等を進める覚悟のリーグ」とスピーチをする岡島さん

 そして何より、岡島さんは選手経験者であり、女子サッカーの歴史を切り開いてきた。誰よりもサッカーを愛している自負もある。

 代表理事が具体的に何をするのかもわからないが、断る理由は見つからなかった。

「やります」

 40代で前十字靭帯(じんたい)を負傷し、プレーすることを諦めたサッカー。これから日本でプロサッカー選手を目指す女性たちのため、自分ができることに力を尽くしたい。

 家族の誰にも事前に相談しなかった。大きな決断に、家族は皆共感してくれた。娘のクリスティさん(28)は、その決断を1人の女性としても応援してきた。

「母の決断はクールだと思いました。WEリーグはジェンダー平等など、女性活躍のミッションを謳(うた)っています。私の価値観にもとても近く、強く共感します。何事にも自信を持って前に進む母を心からリスペクトしています」

 1人のアスリートとして、1人のサッカーファンとして常に情熱を持ち続け、日本女子サッカーの道を切り開いてきた岡島さん。高く立ちはだかる壁にも怯(ひる)むことなくチャレンジし続けた非の打ちどころのない完璧な女性に見えるが、チームメートとして長年その近くにいた前出の酒井さんは、岡島さんの素顔をこう語る。

「きっこさんの強さは、自己過信や自己満足ではなく、人一倍努力したからこその心(しん)の強さです。それを見せないところがカッコいい。そして、とってもチャーミング。年齢や立場も関係なく、ケラケラ笑って気さくに話してくださいます。ジンナンではきっこさんがボケで私がツッコミでした(笑)」

 三菱重工浦和レディースの安藤梢選手(40)も、酒井さんに近い印象を抱いている。

「初めは私も緊張していましたが、とてもフレンドリーに話しかけてくださいました。選手たちも、最初は『チェア』でしたが、だんだん『きっこさん』って呼ぶようになって。試合を見にきてくださったときも、『私、タオル並んで買ったのよ!』って見せてくださいました。リーグのトップの方なのに、優しくて気さくな先輩としてなんでも話せる雰囲気をお持ちなんです」

 WEリーグ開幕から1年を過ぎ、2022年9月、岡島さんは初代チェアを卒業。Jリーグ唯一の女性社長であるV・ファーレン長崎の高田春奈さんに引き継がれた。

10月22日に自身初の著書『心の声についていく』(徳間書店/1650円)を書き下ろした ※記事中の画像をクリックするとアマゾンの商品紹介ページにジャンプします

「日本のジェンダーギャップ指数は、146か国中116位(2022年現在)。社会にも企業にもガラスの天井といわれる障害がたくさん存在しています。

 そのガラスの天井を打ち破るためにも、その象徴としてWEリーグの優勝トロフィーはガラスの板を実際にシュートで打ち破った破片で制作されています。ぜひ女子サッカーで日本の社会を変えていってほしい」

 その思いは、安藤選手をはじめ、選手、スタッフがしっかりと受け取っている。

「これまでは、プレーヤーとして、プレーだけで見せていこうと思っていましたが、WEリーグが創設されたことで、社会の中で女性が活躍していく姿を自分たちが見せていきたいという意識に変わりました。

 トレーニングに取り組める時間が増え、フィジカルコーチがつくなど環境がとても良くなりましたし、来年のワールドカップもとても楽しみです」(安藤選手)

 初代チェアを引退し、岡島さんはこれからどのようにサッカーに関わっていくのだろうか。

「私は、これまでもこれからも、ずっとサッカーファンです。できることがあればなんでもやります。みなさんも一緒に応援してくださいね!」

 そのチャーミングな笑顔の奥に、サッカーに初めて出合ったころの中学生の岡島さんが見えたような気がした。

取材・文/太田美由紀(おおた・みゆき)●大阪府生まれ。フリーライター、編集者。育児、教育、福祉、医療など「生きる」を軸に多数の雑誌、書籍に関わる。2017年保育士免許取得。Web版フォーブス ジャパンにて教育コラムを連載中。著書に『新しい時代の共生のカタチ 地域の寄り合い所 また明日』(風鳴舎)など。