筆頭格は元ワーナーミュージック・ジャパンの会長で、のちにジャニーズ・エンタテイメント(ジャニーズ事務所系のレコード)社長も務めたA氏(74)。山下達郎(68)の育ての親的存在であり、KinKi Kidsのデビュー曲『硝子の少年』(1997年)を山下が作曲したのもA氏の存在があったから。

ヒットメーカーでリスク回避のプロ

 A氏が補佐したのは音楽面だけではなかった。1989年、当時は同事務所の一員だった近藤真彦(58)の自宅で中森明菜(57)が手首を切って騒動になると、沈静化に向けて奔走した。この件に限らず、同事務所の危機管理担当役でもあった。

 A氏らかつての補佐役の大半はジャニーさん、メリーさんの他界後、現場から去った。現在の社長である藤島ジュリー景子さん(56)と仲違いしたわけではない。ジャニーさんたちに仕えた人たちなので、高齢なのである。

 同事務所からは次々と若いタレントが出てくるので見落としがちだが、スタッフは世代交代の真っ最中。次の世代の補佐役が台頭してくるのはこれから。しかもジャニーさんとメリーさんの姉弟商店だったので世代交代は極めて難しい。もしも補佐役が育っていたら、滝沢氏ばかりに負担はかからず、退所もなかった。

 滝沢氏はジャニーズJr.の育成やプロデュースするジャニーズアイランドの社長も兼ねていた。その後任には元V6の井ノ原快彦(46)が就く。

 来年1月の帝国劇場(東京)のジャニーズJr.の公演『JOHNNYS' World Next Stage』の演出は井ノ原と東山紀之、堂本光一(43)が共同で行うことが早々と発表された。ほかの先輩たちもJr.の育成に関わっていく。滝沢氏に負担がかかり過ぎてしまった悔いが背景にあるだろう。

「ジュリー社長と滝沢氏の衝突が副社長退任の理由」との声も一部であるものの、そのような声は芸能界内からは聞こえてこない。仲違いしたら、滝沢氏が山ほど仕事を背負わされることはない。同事務所側の説明通り、慰留もしている。あったのは意見の食い違い程度だろう。

 なにしろ約2年前から芸能界内では「ジュリー社長は滝沢氏に頼り切り」とすら言われていた。ジュリーさんがやや気落ちしていたせいでもある。

 ジュリー社長は自分がプロデュースしたTOKIOの長瀬智也(43)の脱退と同事務所退所を止められず、ショックを受けた。また、自分が育てた「嵐」が約2年前から活動を休止すると、やはり衝撃を受け、芸能プロダクション運営の難しさを痛感したとされている。それだけにタレント活動歴もある滝沢氏には側にいてほしかった。補佐役を求めているのはジュリー社長も同じなのである。

 では、なぜ10月31日付の退任だったのか。理由の1つは滝沢氏が手塩に掛けて育てたジャニーズJr.内グループ「Travis Japan」が10月28日、『JUST DANCE!』で米キャピタルレコードから同事務所で初の世界デビューを果たしたからに違いない。

 さらに「A.B.C-Z」のデビュー10周年と事務所設立60周年を記念した舞台『ジャニーズ伝説』が12月5日から帝国劇場(東京)で行われるからと言われている。

 この公演は1962年の同事務所設立とともに結成された初代ジャニーズの物語。ジャニー喜多川さんの作・構成・演出で2013年に初演され、昨年からはA.B.C-Zが演出も担当している。

 今年はメモリアル公演。滝沢氏がステージで挨拶するか、コメントを出すのが自然だった。しかし、その直後に辞めることは滝沢氏にとって不本意だろうし、コメントしてから間もなく退任するのも避けたかったに違いない。