ここまで尽くすご家族はなかなかない

お母様は“私は娘の稼いだお金を酒、たばこ、パチンコで使ってしまった。これ以上娘に負担をかけたくない。このままでは彼女の将来をダメにしてしまう。少しでも介護の負担を減らしたい”と言って、毎日1時間のリハビリに懸命に取り組んでいました。杉田さんも何度も来院され、お母様に寄り添っていました。

車椅子の母と近所の美容院へ行ったとき。介護していたころは母と妹との3人暮らしをしており、妹も介護を手伝っていた
車椅子の母と近所の美容院へ行ったとき。介護していたころは母と妹との3人暮らしをしており、妹も介護を手伝っていた
【写真】『パパと呼ばないで』当時7歳の“チー坊”時代と、母・美年子さんとのツーショットも

 この病気は大半の患者さんが痩せ細ってしまうものですが、お母様は入院当初から身体つきがしっかりされていた。栄養状態が良い証拠で、いかに家の中で手厚く介護されていたか。

 ここまで患者さんに尽くすご家族というのはなかなかない。親子関係の強さを感じました」と千住先生。

 杉田さんが6歳のとき、両親が離婚。身体の弱かった母に代わり、子役時代から一家の大黒柱となって母と妹の家族3人の暮らしを支えてきた。家族の絆は強く、とりわけ母との関係性は特別だった。

「私の前世は絶対にお母さんの恋人だったと思うんです。母に対する思いや執着を自分なりに分析すると、そうとしか考えられない。恋人のような恋愛感情があるから、何でも許せてしまうんですよね」

 と杉田さん。

 だが思いのあまりの重さに押しつぶされそうになったこともある。

「どうしても許せない母の一面が見えたとき、私の中のその感情が強すぎて苦しくなってしまって。母に“もうお母さんのことを好きではなくなります。だけど私はお母さんのことを愛している。だから愛するだけにします”と宣言しました」

 母に代わり、父の借金を肩代わりした20代のころのことだ。大好きだから甘やかしてしまう。ならば好きでも嫌いでもなく、ただただ愛するのみにしようと思った。そうでもしないとつらくて生きていけなかった。そのとき初めて母の弱音を聞いた。

「“やっぱり産まなきゃよかった”と母に言われました。母は愚痴や泣き言の類いを一切口にしない人だったけど、あのときだけは“こんなに苦労させて。産まなきゃよかったね”ともらしていた。私は母に“産んでくれてよかった”と言いました。最期も“産んでくれてありがとう”と伝えています」

病室で撮影した母と杉田さん。肺の病気を患って、生活のほとんどすべてに介護が必要になっていた
病室で撮影した母と杉田さん。肺の病気を患って、生活のほとんどすべてに介護が必要になっていた

 4年半にわたる献身的な介護の末、2018年1月、母を看取る。

本当にキレイな最期でした。病気で苦しんでいたときは顔色も悪かったけれど、白塗りをしたみたいに真っ白で、今にも起き上がるのではないかと思うくらいキレイだった。眠るように亡くなって、死が怖くなくなった。人は仏様になれるんだということを母は教えてくれました」

 2年間を喪に服し、仕事復帰にまず手がけたのがYouTube。自身のチャンネル「杉田かおるのオーガニックヘルスリテラシーofficial」を立ち上げ、オーガニックや健康をテーマに動画の配信を始めた。

 YouTube設立の動機の1つが、「千住先生の提唱する呼吸リハビリテーションをもっと世に広めたい」という思いだった。実際に自身のチャンネルにゲストとして招き、リハビリ法を動画で紹介している。

「杉田さんとはYouTubeのほか講演会でも度々ご一緒しています。呼吸リハビリテーションの認知度は約18%で、COPDの患者さんで治療を受けている人はまだまだ少ない。講演会では杉田さんがお母様のリハビリの様子を撮った動画を流すことがよくあって、それを見て“自分もリハビリを受けたい”と来院される方が増えました。

 呼吸リハビリテーションの啓発活動に積極的に協力してくださっていて、感謝しています」と千住先生。

 ユーチューバー・デビューに続き、女優業に本格復帰。『警視庁・捜査一課長2020』で4年ぶりに地上波ドラマに出演し、『ドクターX ~外科医・大門未知子~』では1980年放映のドラマ『池中玄太80キロ』で親子役を演じた西田敏行と再共演し話題を呼んだ。