越川容疑者と市のトラブル

 市の広報誌によると、1970年に整備された同道路でのトラブルは、越川容疑者の親族が1994年1月にこの土地を購入したところから始まる。

「1996年12月に地権者さんが、道路には自分が持つ私有地が含まれるのだと当時の波崎町を提訴。最高裁まで争い、2004年12月に波崎町が敗訴しました。現在は、波崎町の合併に伴って神栖市がこの問題を引き継ぎました。今も道路として使えるよう、権利者さんとは弁護士を通して交渉している段階です。ただ、交渉内容については、控えさせていただきたい」(同・道路整備課の担当者)とのこと。

 通行止め区間の近くに住む住民たちに話を聞くも、

「全然わからない。関わりたくもない」

「話すことはない」

 と、冒頭の女性と同じく、口を閉ざす。

 土地の権利者と市が対立する構図のようだが、なぜ、地権者である越川容疑者を近隣住民は恐れているのか。

 とある地元住民の男性は、囁くように話し始めた。

「この“通行止め問題”は、テレビで何度も取り上げられているんだけど、顔が出ないインタビューでも声や服装で誰が話したか越川にバレちゃうんだよ。それで文句を言われた人もいる。余計なことを言うと、越川に何かされるんじゃないかって、みんな怖がっているんです。過去に何度も逮捕されていますから。それぐらい危ないヤツなのよ」

 2009年には器物損壊容疑で、2012年には人に向けて水中銃を発射したとして、殺人未遂の疑いで逮捕されていた。

 そして今回の経緯についても説明する。

「波崎町は裁判に負けてから、越川の父親に道路の使用料を払っていたんです。トラブルのきっかけは、波崎町が2005年8月に神栖市に合併されてから。神栖市は工業地帯もあって金があるだろうと、越川の父親は“使用料として2億円払え”と言った。それを聞いた当時の市長は“なら道路は使わない!”と激怒して、使用料を払うのをやめたんです。すると父親や、その仲間が通行料500円を徴収し始めたんだよ」(地元住民の男性)

 “通行止め”問題のウラには、どうも穏やかではない“越川家”の歴史があるようだ。