校内一の美少女。男子に恐れられ

幼稚園児のころファッションショーにも出演(右)。子役、歌手として活動していた小学校3年生のワンシーン(左)
幼稚園児のころファッションショーにも出演(右)。子役、歌手として活動していた小学校3年生のワンシーン(左)
【写真】「すごい可愛い子」と評判だった高校時代のあべ静江

 父は東海ラジオ(旧・ラジオ三重)専属のバンドマン。その父と駆け落ちした母は、『NHKのど自慢』で日本一になったほどの歌唱力の持ち主で、同じく東海ラジオの専属歌手だった。そんな音楽一家の長女として三重県松阪市で生まれたあべ。自宅は父のバンド仲間のたまり場で、音楽談議に花を咲かせる。そんな環境の中、ごく自然に音楽の素養が育まれたのだろう。

「母は歌手としていろんなところに慰問に行っていたのですが、幼い私は母にくっついて行くうち、いつのまにか自分もステージに上がって、人さまの前で童謡やポップスを歌っていました」

 さらに1958年に東海テレビが開局し、父の仲間がドラマを作ることになると、あべは子役として駆り出される。

「テレビの黎明期で、子役があまりいなかったんでしょうね。最初に出演したのは幼稚園児のときでした。子どもだったから内容はあまり覚えていません(笑)」

 その後も数々のドラマに出て、乙羽信子さん、三ツ矢歌子さん、佐分利信さんといった名優とも共演。次第に演じることの面白さに目覚めつつあったが、中学1年生で芸能活動をスパッと休止する。理由は学業だった。

「小学生のころはドラマの撮影で1週間学校を休んでも、授業についていけたのですが、中学生になると勉強も難しくなってくる。勉強はね、まぁまぁできたほうで、できないことがイヤだったんです」

 芸能の世界から離れることに、迷いはなかったという。

「芸能界では、子どもだからという言い訳は一切通用しません。だって仕事ですから。そういう厳しい大人の社会にずっといたから、同世代の子どもの世界に身を置きたかったのかも。自分の意思で決めました。両親も反対せず、私の意思を尊重してくれました」

 “普通の女の子”になったあべは、持ち前の行動力を発揮する。お人形のような可愛らしい容姿とは裏腹に、こんな武勇伝も残す。