西鉄バスジャック事件 運転席側から西鉄高速バスを乗っ取った犯人を説得する捜査員=2000(平成12)年5月3日午後5時55分、広島県東広島市の山陽自動車道奥屋パーキングエリアで共同通信社ヘリから 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第12巻使用画像(P45)
西鉄バスジャック事件 運転席側から西鉄高速バスを乗っ取った犯人を説得する捜査員=2000(平成12)年5月3日午後5時55分、広島県東広島市の山陽自動車道奥屋パーキングエリアで共同通信社ヘリから 「ザ・クロニクル 戦後日本の70年」第12巻使用画像(P45)
【写真】事件当時、『週刊女性』が報じた犯人・A少年の素顔

「バスの死角である真後ろに警察車両を停めて、その後ろにもう1台停め、その陰にSATの隊員が待機。ネゴシエーターが手袋を落とすのが合図だった」

20人以上の部隊は左右に分かれ、バスの両サイドから突入する。

報道陣がまさかのフライング…突入時の誤算

「突入の瞬間の映像を見ると、閃光手榴弾が光るよりも一瞬早く、カメラのフラッシュが光っている。報道陣には取材規制をかけていましたが、明らかにフライング。無事に解決したのでよかったのですが、本来はあってはならないことだった」

 突入時の怪我人は割れたガラスで少し足を怪我した警察官だけ、完璧な急襲作戦だった。

 こうしてバスジャック事件は決着をみた。以後、SATは広く国民の知るところとなって、現在に至っている。

「西鉄バスジャック事件の1年後に京都でもバスジャックがあったのですが、SATが出動してすぐに鎮圧。去年の東京で起きた焼肉店立てこもり事件にも出動しています。23年前のあの日にSATの威力を日本中に知らしめたことは、間違いなく犯罪の抑止力にはなっていると思います」

 と中島氏は強く主張した。

 1人が死亡、2名の負傷者を生んだ西鉄バスジャック事件。A少年は少年院送りとなったが、40歳を過ぎたいまでは社会復帰を遂げているという。