「文春」の記事を読んで判断する限り、持ち込まれた手紙は1~2通ではない。広末と鳥羽氏の側に立って物を見るのなら、「好きな人から手紙が来ただけで喜ぶ、10代のあの頃のような純粋な恋」を再び味わっていたのかもしれません。いいオジサンとオバサンが恋にきゅんきゅんしている一方で、不倫されている側にとっては、手紙の数だけ、配偶者の自分以外への愛や性的快楽の詳細までも、まざまざと見せつけられてしまうわけで、お気の毒と言うしかない。たらればの話をしても仕方ありませんが、LINEなどスマホを使ったやりとりなら、ここまで簡単に流出しなかったかもしれない。自分の思う“純粋”を貫いた結果、人を不必要に傷つける。それが「純粋という名の残酷さ」なのであります。

広末に「こんなの初めて」がありえるのか?

「純粋という名の残酷さ」の真骨頂は、広末が鳥羽氏にあてて書いた「こんなの初めて」ではないでしょうか。広末は「もしかしたら、こんな風に本気でぶつかり合って、ひとを好きになったのは初めてなのかもしれません」と高級ホテルのポストカードに書いたそうです。

 これまた広末やその上の世代の女性は、「こんなの初めて」と男性に言うべきだと教育されてきました。食事をご馳走になったり、セックスをしたら「こんなの初めて」と男性に言って、優越感をくすぐってあげましょうと言われていたのです。鳥羽氏も憧れのスター、広末にこんなことを言われたらたまらなかったことでしょうし、その純粋さに胸を打たれたかもしれません。鳥羽氏も「とにかく幸せになりたいし一緒になりたい」と、広末との再婚願望を手紙に綴っています。

若かりしころの広末涼子
若かりしころの広末涼子

  二人ともだいぶ周りが見えなくなっているようですが、鳥羽氏をはじめとした男性諸氏にちょっと考えてほしいのが「こんなの初めて」なのです。冷静な時なら絶対に思わないことを、平気で口走ってしまうのが恋だとしても、恋愛経験もあり、名だたる人気者と交流してきた広末に「こんなの初めて」がありえるのでしょうか。