最愛の妻との別れ

 その姿を応援しながら、最愛の妻・澄子さんは'20年8月に命を閉じた。

「お葬式は家族だけでやれってスミちゃんは言ってたんだけど、形としてお坊さんは呼んだほうがいいって次男が言うの。都合よく近くのお寺に大学の同級生がいて」

 それが神奈川県伊勢原市三ノ宮にある能満寺の住職・松本隆行さん。

「欽ちゃんの言葉って、禅の教えとシンクロするところがたくさんあるんです。よく運の話をされますけど、仏教では運を強くするといった考え方はありません。でも、欽ちゃんの“いい運は続かない”といった話は、ひとつのことに執着しないという教えに通じていて、大学で学ぶ以前から欽ちゃんは禅的な生き方をしてきたのかなと思います」

 と話す松本さんは、澄子さんの葬儀で驚く光景を目にしたという。

「最後にお別れをするとき、欽ちゃんは澄子さんの足を撫でたんですよ。一瞬、おやっと思いましたが、私はすぐに摩訶迦葉の話を思い出しました」(松本さん)

 摩訶迦葉は釈迦の十大弟子の一人。釈迦が亡くなり、火葬するときに火がつかずに困っていたら、摩訶迦葉が旅から戻り、釈迦の足を撫でたら途端に火がついた─。

「仏教では五体投地といって、頭、両膝、両肘を地面につける、もっとも丁寧な礼拝の仕方があるんですが、あれは仏様の足を持ち上げて拝むという意味なんです。欽ちゃんが澄子さんの足を撫でたとき、それは大切な人を拝む自然な形なんだという気がしました」(松本さん)

コメディアン・萩本欽⼀(82)撮影/山田智絵
コメディアン・萩本欽⼀(82)撮影/山田智絵

 萩本は言う。

「僕ね、お葬式では手を合わせないし、顔も見ない。足を撫でて、“また会いたいね、元気でね”って、普通の会話をするだけ。見ている人は変なやつだと思うだろうね。だけど、亡くなった人たちは僕の中でいつまでも生き続けると思っているから、“さよなら”はしたくないの」

 自身の死に対しても、萩本は同じ思いを抱いている。お墓は能満寺の末寺である龍池山高岳院に建てると決めた。

能満寺にある萩本欽一書塚
能満寺にある萩本欽一書塚

「お墓というより記念碑だよ。仏陀の教えって、勉強してみたらそんなに厳格なものじゃなくて、もっと気さくでいいと思ったの。お墓だってね、いろんな人が集まる場所のほうが楽しいじゃない? だからみんなで入れるお墓を考えた。入りたい人は誰でも一緒にどーぞ(笑)」

 記念碑とともに祀られるのは、澄子さんをモデルに仏師が彫った「情黙弁財天」。境内には甘味処があり、春には桜の花で満たされる。そんな新名所の計画が、少しずつ進んでいる。

「いつか僕が死んでも、会える場所は作っておきます。でも、手は合わせないでね、笑顔で手を振りに来てほしいからさ」

 人を楽しませる欽ちゃんのアイデアは涸れることを知らない。コメディアン・萩本欽一の夢の物語。人が絡み続ける限り終わりはない。

<取材・文/伴田 薫>

はんだ・かおる ノンフィクションライター。人物、プロジェクトを中心に取材・執筆。『炎を見ろ 赤き城の伝説』が中3国語教科書(光村図書・平成18~23年度)に掲載。著書に『下町ボブスレー 世界へ、終わりなき挑戦』(NHK出版)。