フランスの古城で暮らした日々が与えてくれたもの

 今田さんと話していると、自然と「先生」と呼んでしまう。ジャンルを作り上げた偉大な先駆者に違いないはずなのだが、権威からくる「先生」ではなく、親しみからくる「先生」なのである。

「いつからか“お菓子の女王”なんて呼ばれていますけど、私はお姫さまが愛したお菓子を研究し、みなさんに紹介しただけ。女王なんておそれ多いけど、今は面倒なので、『はい、そうです』と答えています、ふふふ」

 チャーミングな立ち居振る舞いに、ついつい調子に乗って、あれこれ聞いてしまう。

 今田先生にとって大きな転機は、やはり36歳のときの研修旅行だったのでしょうか? そう尋ねると、「生きていると、運命としか表現できないようなことがあると思うんだけど」とぽつりとこぼし、「そういう意味では、1990年に購入したフランス、ロワール地方のお城を持ったことが、私の人生で大きな転機だったと思います」と続ける。

 まるでおとぎ話のような話だが、今田さんは15年ほどロワール地方にある18世紀の古城・ロゼール城で城主として過ごしていた時代がある。

「バブルの影響で、原宿のワンルームマンションが1億円でした。ところが、たまたま案内されたロゼール城は、それよりも安かったんです(笑)。広大な3万坪の敷地に加え、和訳すると『薔薇の城』。その名のとおり、とても美しいお城でした。私は即決して購入し、生活できる状態に戻すだけでなく、18世紀当時のアントワネットがいた時代の様式に復元させるべく依頼しました。すると、城をよみがえらせた日本人ということで、現地の貴族の方と交流を持つようになったんですね」

今田美奈子食卓芸術サロン

ロゼール城のテーブルセッティング
ロゼール城のテーブルセッティング

 自身が主宰する「今田美奈子食卓芸術サロン」(今田美奈子お菓子教室)では、お菓子作りだけではなく、テーブルセッティングと食卓芸術の授業である「サヴォアール・ヴィーヴル」や、世界共通の礼儀作法と日常のマナーを学ぶ「ラ・プリュ・ベル・ヴィ」といった講座も手がける。ロゼール城での生活があったからこそ、「私の人生は国際的なものになり、本物の食卓芸術やマナーをお伝えすることができた」と振り返る。

 どんなことを教えてもらったのかと質すと、「今でもゾッとする話があるんです」と微苦笑する。

「ロゼール城の修繕が終わり、貴族の方々を呼んでお披露目パーティーをする当日です。観音開きで開くはずの正面の扉の片方が開かないんですね。片方だけでも入れますから、私は気にしなかったのですが、侯爵夫人が血相を変えて、『開かない片方の扉は壊してでもいいから開放しなさい』と言うんです。聞くと、貴族社会では片方の扉しか開いてないと、『自分よりも目下の人を迎え入れる』という意思表示になると。築いてきた信頼をすべて失うと指摘され、慌てて扉をこじ開けました(笑)。おもてなしというのは、文化なんですね」

 イタリアでは、歴史の教科書に登場するあのメディチ家の末裔とも交流を深めたという。皇室や外国のロイヤルファミリー、それこそモナコ大公やダイアナ妃などとも親交を育むことができたのは、今田さんが日本に西洋菓子を広く伝えた「有名人」ということ以上に、国際的なプロトコール(国際儀礼)を知る本物の「文化人」だからだった。

「老朽化やフランスの税金の問題もあり、ロゼール城は手放しましたが、シャトーでの生活が私を成長させてくれました。結婚前に備えるべき社交的なお付き合いや文化的な教養を教える学校をフィニッシングスクールといいますが、生きるための美学は、一生学ぶことができるんですね」

 だからこそ、「本物に触れることが大事」。今田さんの言葉には、とてつもない説得力が宿っている。 

 本物を知る人物として、今田さんと交流を持つ高級中国料理レストラン「銀座飛雁閣」オーナーの藤本進さんに話を聞いた。数々の国内外のVIPが訪れる本物を提供する名店である。

「彼女に会った人はみな、大きな刺激を受けるはず。今田先生は、広く言えば女性の権利を高めた人物でしょう」

 開口一番、藤本さんはそう今田さんの印象を語る。「今田美奈子食卓芸術サロン」はこれまでに全国から学びに訪れた生徒が2万人を超えるそうだ。藤本さんは「すごいこと」だと舌を巻く。

「慕われていなければできないことです。もちろん、その裏にはご苦労もあったと思うが、今田先生は決してネガティブなことを口にしない」

「達人ですよ」、そう藤本さんは語る。

「偽物に興味がないという視点を持てば、おのずと本物にだけ触れていくことができる。嫌なこともあったでしょうが、必要なものだけ、自分に意味のあるものだけを口にする。そうじゃないものは口にしない。口にするということは、影響を受けているわけだからね。影響を受けているうちは勝てない。だから彼女は、負けないんでしょう」(藤本さん)

 過去、今田さんに苦難がなかったわけではない。妬みや嫉みを抱かれたこともあったであろう。

 怒りやむなしさとはどのように向き合ってきたのか、今田さんに問うと─。

「思わぬ大きな損害を受けたり、誹謗中傷に遭ったりしても引きずらず、問題を大きくしないで終えることです。そして、咎め立てを口にしないこと。何事も貴重な体験と受け止めて、学びとします。逆に友人や応援してくれる人たちを思い、感謝する気持ちを強く抱くことです。そして幸運を呼び寄せる努力に切り替え、幸せの風が吹く日を信じて前進していくことが秘訣であり、人生の目標のひとつとしています」

 アントワネットをはじめとしたお姫さまたちも、これほどまでに達観していたのだろうか。