皆が私に背を向けた絶望

デビュー1か月でCMオファーが26社は驚異的
デビュー1か月でCMオファーが26社は驚異的
【写真】デビュー間もない北原佐和子が美人すぎる

 デビューしたばかりのころは、街頭で歌うと目の前を通る人が皆、立ち止まった。だが、人気が低迷した途端、通り過ぎるようになる。

「皆が私に背を向けたと感じたときから、私の苦しみは始まりました。何も考えないまま、すべてお膳立てされてデビューし、このままいい状態がずっと続くと漠然と思っていたのに、そのすべてをすぐに失うことになるとは考えもしませんでした。なかなか現実を受け入れられず、立ち直れなかったです」

 10枚のシングルレコードと、6枚のアルバムを発表して3年の契約が終わったところで、北原は歌手をやめることを決意。レコード会社へ挨拶に出向いた。レコードを発売するたびに、多くの愛情を注いでもらい、時間を費やしてもらえたことに感謝しかなかった。

女優で准看護師―。2つの顔を持つ北原だが、どちらも天職なのだろう(撮影/佐藤靖彦)
女優で准看護師―。2つの顔を持つ北原だが、どちらも天職なのだろう(撮影/佐藤靖彦)

 アイドルとして歌うのはやめても、女優の仕事は続けた。演技指導も受けていなかったが、時代劇では重用された。小顔で首が長く、なで肩の北原は、かつらと着物が似合ったのがその理由だろう。

 演じることで心のバランスを取り、自分を取り戻せる気がした。だが『水戸黄門』の舞台では黄門役である西村晃さんから「北原の演技は下手すぎて、一緒にやりたくない」と言われた。芝居の勉強をしなかった負い目もあり、“教えてください”と何度も西村さんの楽屋へと足を運んだ。相部屋になった鈴鹿景子さんには口も利いてもらえず胃潰瘍を発症したことも。

「私が姫役、景子さんが側女のような役回りなので、舞台でもいつもそばにいたのですが、何を言っても答えてくれない。だけど、千秋楽の日“お疲れさま。本当によくやったわね”と言ってくれたんです。2人で抱き合って大泣きしたことはいい思い出。舞台の厳しさを、身をもって教えてくださったんです」

 京都の撮影所に行けば、張り詰めた空気のなか、何か失敗するたび、スタッフから“ボケ、カス”“あほんだら”と口汚く怒鳴られ、裏で泣いた。“あ~、すいません!”と大声で言い返せるまで、ずいぶん時間がかかった。そうしているうち、“佐和子だから仕方ねえか”と言われるまでになる。

 厳しさも、そこに愛情を感じることができれば、どんなことでも受け入れられる、と北原は言う。そして、その人との関係は生きていくうえで大切なものになっていくのだ、と。

 歯を食いしばる日々のなか、24歳で友達の紹介で知り合った人と結婚する。

「結婚に救いを求めたところはあったと思います。結婚はタイミング的には、遅いくらいでした。30歳で別れましたが、ご先祖様とお墓参りの大切さは結婚で学ばせてもらいました」

 この間、27歳のとき、北原に大きな転機が訪れる。ヌード写真集を出したのである。仕掛け人がいたわけではなく、自ら申し出ての撮影だった。アートなものが作りたい。そんな思いから、信頼できるスタッフとともに準備をした。

「このお仕事が私にとって意味あるものになったのは、アイデア出しからすべてスタッフとともに納得して進められたからです。私はもともと、自分で立ちたい人だったんでしょうね。自分で確認しながら、納得してやりたかったんです。アイドル時代はすべてお膳立てされ、流されることに心地よささえ感じていた。ハワイで水着になったこともそう。あのときもし断れていたら、私はどうなっていただろうな、とよく考えます。たぶん私は私。何も変わっていなかったかな」

『暴れん坊将軍』での芸者姿。
『暴れん坊将軍』での芸者姿。

 北原は女優として『暴れん坊将軍』や『水戸黄門』、『はぐれ刑事純情派』、『牡丹と薔薇』などの作品に登場。テレビに欠かせない存在となり、その出演リストは膨大なものになる。近年は『こども食堂にて』という社会問題を問う映画にも出ている。

 だが、女優の仕事は不安定。数か月、仕事がないこともある。そんな状況に翻弄され、自分は社会から必要とされていないのではないかと思い詰めた。

 女優の空き時間に介護の仕事を入れることは、子どものころから親に看護師を目指すよう言われてきた北原にとって、ごく自然な選択だった。

介護への道も山あり谷あり

女優、准看護師・北原佐和子(撮影/佐藤靖彦)
女優、准看護師・北原佐和子(撮影/佐藤靖彦)

 女優を続けながら介護の仕事をするのは容易ではなかった。まず働く場所がない。30か所近い介護施設に電話しても、“いつ休むかわからないのではシフトが組めない”と断られた。最後の1軒、宅老所で“ごちゃごちゃ言わず一度来て”と言われ、ようやくスタートできた。しかし、女優・北原を知っている人もおり、最初は“何しに来たの”という雰囲気で、スタッフに受け入れてもらえなかった。

「認知症対応でない施設を探していたのですが、なんとか入れてもらえたところは認知症を受け入れていた。何をどうすればよいのか、どう向き合えばよいのか、まったくわかりませんでした。そのころはまだ、ホームヘルパー2級の勉強内容に、認知症のことがほとんど入っていなかったのです。それで掃除と洗濯ばかりしていましたね」

 所属事務所の理解も得られず、介護の仕事のことは一切言うなと釘を刺されていた。

「撮影を終えて施設の夜勤に入ったり、それはそれで楽しかったのですが、なぜ隠さなくてはいけないのか不思議でした。“仕事にあぶれた女優が介護をしている”とか、“介護を売りにしようとしている”といった噂が広まるのを心配していたのでしょうが」

女優、准看護師・北原佐和子(撮影/佐藤靖彦)
女優、准看護師・北原佐和子(撮影/佐藤靖彦)

 デイサービス事業所の勤務では、細かなことで小言を言われ“いつやめてもいい”と責められ続けた。精神的に追い詰められ、1年ほど介護の仕事を離れた。それでもまた現場に復帰し、さらに勉強を重ねて介護福祉士、ケアマネジャー、准看護師の資格を取得した。それほど介護に魅かれたのは、仕事を通じて北原が「人」を見たからだ。

「これまでを振り返って思うのは、本来、人間は自由だということ。何かにつけ物事にとらわれ、こだわってしまうけど、どう動こうが、どう考えようが、本当は自由なんですよね。人との関わりで、自分とは違う部分が見えると否定に走りがちだけど、この人はそういうふうに考えるんだ、と受け止めることが肝心なのではないでしょうか」