赤坂御用地の仙洞御所へ

 ご夫妻は昨年4月、港区高輪の仮御所から赤坂御用地の仙洞御所へ移られた。

「お部屋には聴力をサポートする道具をいくつか置かれていました。上皇后さまは以前から補聴器をおつけになっていましたから、生活しやすいようになさっているのだと思います。応接間の壁には大きな水槽が埋め込まれていました。そこには上皇さまの研究対象であるハゼが何種類も泳いでいて。“もしかしたら上皇后さまが上皇さまのためにお作りになったのかもしれない”とも思いましたね」

 数年ぶりの再会を美智子さまは大変喜ばれたそうで、

「帰り際、迎えの車まで侍従が、私の乗る車いすを押してくれようとしたんです。すると、上皇后さまが“私が押します”とおっしゃって……。おそれ多いことではありますが、上皇后さま自ら車いすを押してくださいました。

 スロープに差しかかる際に、侍従が“ここからは私が”と交代されましたが、上皇后さまも玄関までお見送りに来てくださって。車に乗り込む私に“今度はいつ会えるのかしら”といった少し寂しげなご表情で見守ってくださいました

 別れが名残惜しいほど、長年のご友人である末盛さんとの会話は貴重な時間だったのだろう。

「共通の友人が他界して、だんだんいなくなることや、世界のあちこちで戦争が起きていることについてお話ししました。本当に心を痛めておられるご様子でした。IBBY(国際児童図書評議会)の活動で、インドのニューデリーやスイスのバーゼルにご一緒したことなど、いろいろな思い出がありますが、当時は今ウクライナなどで起こっているような紛争に巻き込まれることがなかったので、“あの時代は本当にいい時代だったのね……”と」

 変わりゆく国内外の動静に目を向け続けられる美智子さま。そうした事柄だけでなく、末盛さんにはいつも変わらずお話しされることが。

「お目にかかるたびに“陛下を最後まで見守るのが自分の何よりの務め”とおっしゃるんです」

 上皇さまをそばで支え続けるという敬愛は、今も揺らがない─。