落語家・古今亭右朝との出会い

放送作家・⾼⽥⽂夫(75)撮影/山田智絵
放送作家・⾼⽥⽂夫(75)撮影/山田智絵
【写真】高田に影響を受けたという宮藤官九郎とのツーショット

 日本大学芸術学部に入学すると、後に古今亭志ん朝の弟子になる落語家・古今亭右朝(2001年4月、52歳で没)に出会い、センセーのプレーヤーとしてのマインドに火が付いた。

「今日あるのは、右朝のおかげ」とセンセーは感謝を忘れたことがない。「大学1年のときに、田島道寛(右朝の本名)はすでに落語が200席できた。それをマンツーマンで教えてくれた。くすぐり(ギャグ)はこっちがうまいから。明るさとギャグは完璧だけど、人の機微がわからないと指摘されて、山本周五郎を読むようにと言われた。機微ってなんだ? 18歳が言うか?と思ったけど、おかげで今、こうやって食えてる」

 放送作家になった22歳から今に至るまで「一度もレギュラーが途絶えたことはないね」という幸運の女神に溺愛され続けたセンセー。

「高田センセーの教えはとにかくふざけろ。どれだけふざけるかっていうと、高田センセーは全部ふざけている」と前出の志らくが指摘するとおり、いやいやそこで、そんなこと言う!という場面があった。

 2012年4月11日、センセーは自宅で「DVDで映画『マネーボール』を見ていたら、そのまま」不整脈で意識を失い、8時間心肺停止。その後、集中治療室で3か月意識がなかった。担当医も「ありえない。奇跡中の奇跡。8時間心臓が止まっていて生きている人はいない」と驚くほど、センセーを生かさないといけないという力が働いた。意識を取り戻したあと、大勢の医師や看護師に両脇を囲まれベッドのまま移動している際、センセーが言った一言こそふざけの極意!

「花魁道中か」。

 そう言ってみたが、医療従事者は聞こえないふり。小学校の同級生だった奥さんだけが聞き逃さなかったが、「ああいうときに、言うもんじゃないわよ」とぴしゃり。それを聞いた2人の息子も苦笑いだったという。

 ちなみに入院先は日大病院。「母校だから先生方が頑張ってくれたと思う」とセンセーは感謝する。

 どんなときでもちゃめっ気を忘れないセンセーは、「いちばん影響を受けたね」という人物に、放送作家の先人でタレントの永六輔さん(2016年7月、83歳で没)の名前を挙げる。

いちばん影響を受けた幻の師匠の永六輔さんと
いちばん影響を受けた幻の師匠の永六輔さんと

 大学卒業後に放送作家になろうと決断したセンセーは、永さんに弟子入りを懇願する手紙を書いたという。

 返事が来た。そこには『私は弟子を取りません。私は師匠なし、弟子なしでここまで来ました。友達ならなりましょう』と書かれていたという。それから10年後のある日のこと。一通の手紙が、すでに自力で売れっ子になっていたセンセーのもとに届いた。
『今からでも遅くはありません。弟子になってくれませんか』。互いに江戸っ子ならではの、粋なやりとり。

 ちなみに『人間ドキュメント』の題字は、永六輔さんの揮毫。永先生と高田センセーの10年越しのエピソードで、この稿無事にお開きです。

<取材・文/渡邉寧久>

わたなべ・ねいきゅう 演芸評論家・エンタメライター。文化庁芸術選奨、浅草芸能大賞、花形演芸大賞などの選考委員を歴任。ビートたけし名誉顧問の『江戸まち たいとう芸楽祭』(台東区主催)の実行委員長。東京新聞、夕刊フジなどにコラム連載中。