軌道に乗ってきたバーもコロナ禍で危機に

「新型コロナウイルスが流行したのは店をオープンして3年目のことでした。それまでも1週間まったくお客さんが来ないようなときもありました。けれどコロナ禍はそのレベルではありません。政府が夜8時までの時短営業を要請したけれど、うちは9時過ぎからお客さんが足を運び始めるお店です。店を開いては閉めての繰り返しで、最終的に数か月間店を休むことになりました。けれど私はどこか楽観的に捉えていた。それは東日本大震災で一度大きなダメージを経験していたからだったと思います。

 危機感は抱きつつ、“もうすぐ終わるでしょ!”と言っていた。結局、収束まで丸3年かかりましたけど」

 コロナの分類が5類感染症に移行し、ようやく店も通常営業に入る。お客も少しずつ戻ってきた。

「スナックを始めてよかったなと思うのは、やっぱり出会い。お客さんは若い方から年配の方まで幅広く、さまざまな職種の方が訪れます。けれどお酒の席では上下関係もなく、対等におしゃべりができる。それは何より魅力です。旧友との再会もありました。

 親友の彼と私が一度大ゲンカして、それ以来距離ができていた。そのかつての親友が店に遊びに来てくれた。20年ぶりの再会で、聞いたら彼が亡くなったという。女同士ベロベロに酔って、20年の時を一気に取り戻した感覚がありました。これもお店をしていたからできたことでしょう。

 クリスタルも時折店に顔を出します。友人と来ることもあれば、業界の人間を連れてきたり、1人でふらっと来ることもある。娘はLDHへの移籍を機に家を出て、一人暮らしを始めました。

 けれど私に寂しいという気持ちはありません。今も毎日のように連絡を取り合っていて、離れているという感覚がないのでしょう。

 月曜日に横浜の自宅から店へ出勤し、そのまま週末までほとんど家には帰れません。店に泊まり込むこともしょっちゅうで、最近は体力の限界を感じることも多くなりました。コロナ禍でも店を閉めようと考えたことはありませんでした。でも60歳の誕生日を目前に控えたころ、ふと不安に襲われた。いつまで続けられるだろう、そろそろ店を閉めようか─。そんな思いが初めて頭をよぎった瞬間でした」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>