娘と二人三脚で歩み続け来年でデビュー25周年

「自分自身に対する欲というのはあまりないけれど、娘に対する欲はすごく強いと思います。娘には歌をずっと続けてほしい。いつか結婚をしてほしい。そしてできれば子どもも産んでほしい。私もそうだったけど、やっぱりわが子が一番の味方だと思うから。

 ひと言でいうと、娘には幸せになってもらいたい。60歳になったときに、“ああすればよかった、こうすればよかった、なんであのときできなかったんだろう”とは言ってほしくない。“あー楽しかった、一生懸命やった、そして今も幸せ”という未来であってほしいから。

 でもそのためには必死に進んでいく必要がある。娘にとって今がそのときなのかもしれません」

 歌手は一生、歌をやめない人が多いんです、とシンシア。メジャーからは退いたが、シンシアも歌は続けていた。

個人事務所でクリスタルのマネジメントを手がけながら、私も歌はずっと歌っていました。新宿の小さなライブハウスやコンサートなど、呼ばれればあちこち行きました。地元の横浜では定期的に出ているお店もあって、長者町の老舗ライブハウス『フライデー』では2年歌い、馬車道の『パラダイスカフェ』では、かれこれもう10年以上歌っています。

 とはいえステージに立つのは1〜2か月に1回程度。歌で食べられるわけではなく、それどころか手弁当で出かけたり、ギャラが出ないようなケースもよくあります。娘が1回しか着ていないドレスを着て、衣装代を浮かすのもいつものこと。曲はどんなジャンルでも歌います。ポップス、フォーク、昭和歌謡も歌えば、最近のヒット曲も、アメリカの曲も何でも歌う。

 今は何より自分のライブが一番楽しい。歌を歌うのは純粋に楽しい。でも楽しいと思えたのは本当にこの10年くらい。

 クリスタルをLDHに託したあたりからでしょうか。業界から離れ、ひとつ吹っ切れたのかもしれません。声が出る限り、歌はこれからも続けていくつもりでいます」(次号最終回)

<取材・文/小野寺悦子>