横綱昇進の伝達式を終えて記者会見する大の里と二所ノ関親方(共同通信社)
横綱昇進の伝達式を終えて記者会見する大の里と二所ノ関親方(共同通信社)
【提供写真】少年相撲大会で表彰された大の里、“父の里”として話題の父・知幸さん

 もっと強くなりたい。その思いを胸に、まだ幼さが残る12歳の大の里は、他県への相撲留学を決める。その先こそ、新潟県糸魚川市にある全国で有数の強豪校・能生中学校と海洋高校だった。

「稽古は中学生と高校生が一緒に行っていましたから、泰輝とは中学時代から関わりがありました。その第一印象は、明るくて素直な子でしたね」

 海洋高校で当時、相撲部の監督だった村山智明さんは、そう振り返る。厳しい環境に身を置いた大の里は、頭角を現していく。

「中3のとき白鵬杯で優勝。高1のときはインターハイで2位になっています。高1から選手としてはトップクラスでしたね。しかし、高校時代の優勝は3年生のときの1回だけです」(村山さん、以下同)

相手を知りすぎてしまう癖

 史上最速の横綱だけに、学生時代も無類の強さを見せていたのかと思ったが、そうではなかった。

結果を出した後こそ“負けられない”という気負いから、焦った相撲をして、勝てなくなることがありました。勝ちを意識しすぎて、本来の力を出せなくなるんです。また、相手を過大に評価する部分もありました。泰輝は本当に相撲が好きな子で、プロ・アマ問わず、その知識量はすごかった。高校では、誰が何の大会に出て、勝敗はどうだったかなど、すべて頭に入っていたんです。ただ、相手を知りすぎているからこそ、大事なところで負けてしまうことがありました。考えすぎてしまうんです

 敵を知り、己を知れば百戦危うからずと『孫子』に書かれているが、敵を知ることで自らを過小評価してしまっていたのだ。

 大学時代も、1年生のときに6回もの優勝を果たすが、2年生のときは1度も優勝できず苦しんだ。

 その後、アマチュア13冠という実績を残し、角界入り。