リサイタルの翌月、NHKのバラエティー『夢であいましょう』に出演。坂本さんの歌う『上を向いて歩こう』は大きな反響を呼んだ。譜面のプレゼント企画には、1万通の応募が殺到。年末の『NHK紅白歌合戦』に初出場し、一躍人気スターの仲間入り。
多忙すぎてパジャマのまま担ぎ出して車に乗せて運ぶ日々
「九ちゃんはもうすごいスケジュールでした。1年間に映画を6本撮って、9枚のレコードを出して。彼の自宅は川崎だけど、帰っていたら寝る時間がないので、わが家に寝泊まりすることもよくありました。夜中の3時に帰ってきて、朝の5時には出なければなりません。朝になるとパジャマのまま担ぎ出して、車に乗せて運ぶんです」
曲直瀬社長は当時大学生で、仕事終わりの坂本さんを自宅でたびたび迎えている。
「お手伝いさんもいない時間だから、お腹がすいたと言えば、私が何か作ってあげて。
九ちゃんは向学心があり、上昇志向が強い人。大学に行ってる女の子って何を考えているんだろうと思っていたのでしょう。学校でどういうことをやってるの、とよく聞かれたものでした」
『上を向いて歩こう』は海を越え、アメリカ・ビルボード誌のランキングでトップ100入りを果たす。始まりは些細なきっかけだった。
「九ちゃんが歌う日本版のレコードを向こうに持ち帰った人が、町の小さなラジオ局に“こういうレコードがあるんだけど”と持ち込んで、口コミで広まって。そういう事象があちこちであったんです」
ビルボードでは70位台からスタートし、ついに1位を獲得。3週続けて日本人が日本語の曲でビルボード第1位に輝いたのは初めてで、今もその記録は破られていない。
アメリカでの売り上げは100万枚を突破し、外国人で初めてゴールドディスクを受賞している。当人はどんな心境だったのだろう。
「東京新聞の記者さんが“大変だ大変だ、向こうで1位になった”と教えてくれて。でもあのときは九ちゃんもさほど実感がなかったと思う。あまりにもアメリカって遠かったから。実際、日本ではそれほど騒がれませんでした」
国外では『SUKIYAKI』のタイトルで親しまれ、70か国以上で総売り上げ2000万枚超の記録を達成。世界的ブームを巻き起こしていく。
坂本さんは時の人となり、NBCの音楽バラエティー番組『スティーブ・アレン・ショー』からのオファーで渡米。