8月5日に放送された『上沼&香取のずっと伝えたかった』(フジテレビ系)。そこで披露された浅野ゆう子の“震災美談”が、思わぬ反発を食らっている。阪神・淡路大震災の際に母を救ってくれた“恩人”との再会が描かれたのだが、その裏にあった事実が波紋を呼んでいるのだ。
5時間かけて被災地に入った西脇さん
「1995年1月17日、神戸で暮らしていた浅野さんの母から、公衆電話で『生きている』ことだけを告げる電話がかかってきたそうです。唯一の家族である母を心配した浅野さんは、マネージャーにかつて数回だけ仕事をした大阪在住のテレビディレクターの西脇さんの連絡先を調べさせ、突然、彼に電話。『私、神戸に入れないでしょうか?』『報道の方と一緒なら現場に入れるのではと思って』と懇願したそうです」(芸能ジャーナリスト、以下同)
余震と火災が続く被災地。突然の依頼に西脇さんも戸惑っていたという。だが彼は「考えてみます」とだけ答えると、翌朝、浅野に電話。彼女を安堵させるひとことを告げる。
「『お母さん、見つかりましたよ』と伝えたそうです。実は西脇さん、住んでいた大阪・千里から神戸まで必死で車を走らせたのです。普段なら30分ほどで着く道のりを5時間かけて走破し、浅野さんの母親が避難していた場所に到着。母親を保護したうえに、かろうじて運行していた新幹線の駅まで送り届け、東京行きに乗せてくれたというのです。そのおかげで浅野さんは震災からわずか1日で被災した母親と再会することができました」
番組では、命がけの行動に感謝を伝えるべく、西脇さんの現在の居場所を番組スタッフが捜索。ついに見つけ出し、スタジオで30年ぶりの対面が実現した。そこで浅野は感謝を述べたのが、その一方で明かされた事実に、視聴者は言葉を失った。
「浅野さんは『その当時もお礼の言葉っていうのをお伝えしたかもしれませんけど……』と語るなど、30年間一度も会っておらず、感謝した記憶も曖昧な様子。しかも、西脇さんと一回も食事に行ったこともなければ、彼が5時間かけて母を救いに向かったことさえ今回初めて知ったようでした。
さらには、当時の浅野さんの所属事務所の社長まで西脇さんに『(浅野のために)なんとかしてくれ』と直訴していたことも初耳だったようで、『ほんとですか?』と浅野さんは驚くばかりだったのです」
感動の再会の裏で明かされた、不誠実な“30年の空白”。ネット上には違和感の声が相次いだ。
《なんか引っかかる「美談」だ》
《大女優の特権かな》
《非常識ぶりにちょっとイラッと来てしまった》
など、母親を命がけで助け出してくれた恩人と音信不通だった浅野に苦言が続出。ある芸能プロ関係者も疑問を呈する。
「西脇さんも被災直後でご家族もおられた。そんな中、それまで数回仕事をした女優から急に頼まれて、きっと困ったことと思います。本来なら浅野さんが西脇さんを捜し出してでもお礼に行くべきだったのではないでしょうか。西脇さんと30年間一度も会っていなかったという事実に、多くの視聴者が『美談とは違うのでは』と感じたのだと思います」
番組サイドは感動の再会として描きたかったのだろうが、視聴者の心にわだかまりを残すことになってしまった。