なんとか気持ちを立て直し、翌年も受験して2つの大学に合格するが、またもや入学拒否の通知が……。この問題は大学関係者の間でも議論を引き起こし、麗華さんは裁判を起こして勝訴。ようやく文教大学に入学することができた。

大学では友達もでき、憧れていた大学生活を送ることができました。心理学を学んだことで苦悩にどう対処すればいいのか、自分自身が助けられた部分もあります

「公開するべきかどうか深く悩みました」

 一方、アルバイト先では“麻原の娘”だと知られると即クビに。大学卒業後、正社員として入社した会社も同様に解雇された。生活する術も断たれるという、不当な差別に苦しみながらも、心理カウンセラーとして自立を果たした麗華さん。

ドキュメンタリー映画『それでも私はThoughI'mHisDaughter』より
ドキュメンタリー映画『それでも私はThoughI'mHisDaughter』より
【写真】教団名「アーチャリー」と呼ばれていた頃の松本さんと父・麻原彰晃

 2015年には手記『止まった時計』(講談社)を出版し、顔を出して発信していく立場を取るようになった。

 公開中の映画では、麗華さんの人生がありのままに描かれているが、公開には躊躇したという。

「監督から私の人生をドキュメンタリーにしたいというお話をいただいて、撮影は始まっていたものの、テレビ局からはすべて断られたと聞き、公開は難しいだろうと思いました。テレビ局が断ったのは、私自身が今、教団とまったく関係がなくても、事件の加害者の娘が主人公になることは許されないという考えがあったようです。

『加害者家族』は被害者の方と比べられるため、『下を向いて生きろ』『生きているだけでもありがたいと思え』という見方をされていると感じます。映画が完成したとき、公開するべきかどうか深く悩みました。

 被害者の方々や、元信者の方、そのご家族や関係者の方たちが私の人生を見ることで傷つかないだろうか、忘れてしまいたい方もいるだろう。今度は自分が傷つけてしまわないだろうか、という葛藤がありました」

 最終的に公開を決意したのは、監督の「加害者の家族や死刑になった人の遺族がどう生きていくのかを発信することで、傷つく人がいるかもしれないが、救われる人もいる」という言葉だった。

 また、完成した映画には過剰な演出がなく、淡々と事実を並べたフラットな作りになっていたことも大きかった。

「発信を続けてきたことで、『加害者家族』への社会の理解が深まっていることは実感できます。SNSでのコメントも、以前は誹謗中傷が多く、父の死刑執行直後には、『おまえの臓器を売って償え』といったコメントも寄せられました。

 でも今は寄り添ってくださる内容が圧倒的に多いです。ここ数年、宗教2世の大変さが社会で認識され、自分では選べない宗教的価値観の中で育てられた子どもたちへの理解が進んだことも大きいと思います