戦後の歴史に残る大事件、オウム真理教による地下鉄サリン事件から30年。当時11歳だった彼女の“優しいお父さん”は、どうしてあんな凶悪事件の首謀者となったかを語らぬまま、死刑となった。その後公立学校への入学拒否、就職もできず銀行口座もつくれないなど、普通の人にはありえない差別を経験してきた。そんな彼女のドキュメンタリー映画が公開されている。今の思いを聞いた─。
小学校にも中学校にも入れなかった
オウム真理教による地下鉄サリン事件から30年。元教祖・麻原彰晃の三女である松本麗華さんは当時11歳だった。宗教団体の中で暮らしながらも明るく無邪気な少女だった麗華さんの人生は、父親の逮捕で一変する。
「アーチャリー」という教団名を持ち、最高位の「正大師」の地位にあったことから、「後継者なのでは」と報道され、マスコミから注目されるようになったのだ。
「母も逮捕されたので子どもは親戚の家に保護されることになりました。でも『三女アーチャリー』として騒がれていた私は預かってもらえず、きょうだいの中で一人教団に取り残されてしまったのです。学校に通いたかったのですが、教育委員会から反対されて、小学校にも中学校にも入れませんでした」
と麗華さんは語る。麗華さんは16歳のとき、オウム真理教ともその後継団体とも縁を断ち切ったが、大学からは入学拒否、就職先も解雇、海外の入国拒否、銀行口座をつくれないといった差別に遭ってきた。
そして愛情を持って育ててくれた父が、なぜ凶悪なテロリストになったのかがわからないまま、2018年に死刑が執行された。
そんな麗華さんの苦悩の人生を描いたドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』(長塚洋監督)が現在公開されている。麻原の死刑執行後の6年間を追った内容だ。麗華さんは今、どのような暮らしをしているのだろうか。
「今は心理カウンセラーの仕事をしています。私と同じような犯罪加害者家族の方のほか、『死にたいんです』といった大きな苦しみを背負った方が相談に来られます。わざわざ私のところに来られるのは、『生きづらさを抱えてきた人だからわかってもらえるのでは』という気持ちなのだと思います。悩んでいる方々を救うというのは難しいことなのですが、一緒に寄り添うことはできるという気持ちで仕事を続けています」(麗華さん、以下同)
10代のときはこの先の人生への不安からリストカットをしたり、うつになったこともあったという。そこから前を向くことができたのは、信頼できる弁護士に出会えたこと、進学できるよう生活の面倒を見てくれた元信者の存在が大きい。
「大学で心理学を学びたい」と思ったのは、自分のように苦しんでいる人たちの力になりたいという思いからだった。
義務教育を受けられなかった麗華さんは、通信課程で学び、複数の大学に合格することができた。しかし「入学拒否」という知らせを受け、喜びが絶望へと変わる。