2022年に週刊女性の直撃取材に応じ、巷で囁かれた引退説を笑顔で否定していた中島みゆき
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【写真】現在とは雰囲気が全く違う、ポーズを決める20代の中島みゆき

謎多き歌姫の意外な一面と音楽へ思い

 日本を代表する歌姫、若かりしころはどのように過ごしていたのか。

 デビュー前の中島と一緒に音楽活動をして、現在は北海道札幌市で喫茶店「コーヒーハウス ミルク」のオーナーを務める前田重和さんに話を聞いてみた。

「1970年ごろですかね。当時の私は音楽仲間たちと札幌市内でアマチュアコンサートを定期的に開いて、そこで、藤女子大学のフォークソング同好会に所属していた中島さんと知り合いました。

 当時の彼女は、もう一人の女の子と『壊れた蓄音機』というデュオを組んで、『五つの赤い風船』というフォークグループの曲をカバーしていました

 当時から中島の才能はアマチュアの域を超えていた。

「私と音楽仲間たちで開催したオリジナル楽曲限定のコンサートに中島さんも出たのですが、声は大きいし、歌も楽器もうまい。自身で作詞作曲した歌の完成度も高かったですね。普通、アマチュア歌手のオリジナルソングなんて盛り上がらないのですが、中島さんは観客からの反応も上々でした」(前田さん、以下同)

自分のことを語らない“聞き専”

 その後、前田さんと中島は友人として交流するようになったという。

一緒にごはんを食べるときは、いつもラーメン。たまに喫茶店でコーヒーを飲んだときとかは、将来のことや音楽についてなどいろいろ会話をしましたが、彼女って快活に話はするのですが、基本的に自分のことをあまり語らず聞き専なんです。こっちが話していると、彼女はこちらをよく観察しながら、落ち着かない様子で話を聞くんですよね。今思えば、歌詞のネタを探していたのかもしれませんが、当時は彼女と話していると心が見透かされるようでちょっと怖かったですよ(笑)」

 そんな中島が自分の考えを話したこともあったようだ。

「いつだったか彼女が“私は30歳までに結婚相手を見つけたい。それ以上だと高齢出産になるから、子どもはつくらない”と言ったことがありましたね。今でこそ30歳を過ぎての出産は珍しくありませんが、彼女の父親が産婦人科のお医者さんでしたから、出産に人一倍気を使っていたのかもしれません」

 前田さんは1974年に「ミルク」をオープン。中島も翌年の1975年にレコードデビューし、徐々に交流は減っていくが、1978年に「ミルク32」という、店名を引用した曲を発表している。