夢を叶えるため、大学卒業後は芸能事務所に所属。このときついた芸名が「藤本スバル」だった。各地の健康センターを巡業しながら必死に夢を追いかけるが、芽が出ることはなかった。
「自分の好きなものを追求してもいいんだ」
一時は歌謡グループのメンバーとして活動するも、間もなく解散。29歳で夢半ばにして引退を決断する。
「歌をやめるタイミングで、それまでアルバイトをしていた化粧品会社から正社員にならないかと声をかけていただいたんです。そこから会社員としての生活が始まりました」
会社ではコールセンターや製品ブランドの開発などの業務を担当。スーツにネクタイ姿で、一般的な男性として会社員生活を送っていたという。しかし、30代後半で営業部に異動したことがきっかけで、自身の才能が開花していく。
「化粧品部門の営業責任者として、全国を回ってお客様に商品や美容のことをお伝えする立場になりました。すると、ありがたいことにすごく人気が出たんです。私が講師を務める美容イベントは、半年先まで予約待ち。自社のライブコマースで紹介した商品が、何億円と売れたこともありました」
この時期を境に、スタイルも変化。お客様に覚えてもらえるよう、スーツからカラージャケットへ。少しずつメイクもするようになり、それに合わせて言葉遣いや所作もやわらかくしていった。このイメージチェンジが、顧客の心をさらにつかむ。
「きれい、かわいいと言ってもらえるだけでなく、『スバルさんの使っている化粧品をもっと教えてほしい』『まねしたい』と言ってくださる方が増えました。幼稚園のころに諦めたはずのかわいい服や美しい服を身にまとっても、受け入れてもらえたことがうれしかったですね。
『ありのままで自分の好きなものを追求してもいいんだ』と自信を持ち、そこからどんどん、今のスタイルをつくり上げていきました」
営業に手ごたえを感じた藤本さんは、仕事で培ったトークスキルと美容の知識を生かし、美容研究家へ転身することを決意。43歳で独立する。
しかし、独立直後は顧客もゼロ。漠然と「通販番組に出たい」という目標はあったものの、なんのツテもなく、当時を「正直不安だった」と振り返る。ところが、思いがけない形でチャンスが舞い込んでくる。
「いつも担当してもらっている美容師さんに、『美容研究家として独立したので、今後は通販番組に出てみたいんです』とポロッと言ったら、『お客さんに関係者がいますよ』と、メーカーさんを紹介していただいたんです」