アイドル扱いに葛藤も

 カメラの裏側にいる大勢のスタッフに驚き、その熱と活気に魅せられた。映画がまだフィルムだった時代のことだ。

「フィルムは貴重だから何回も何回もテストを重ね、それでようやく本番に入る。1日かけてワンシーンを撮るようなこともありました。今は2週間で全部撮り切ったりするけれど、当時は3か月で1本じっくり撮るようなぜいたくな作り方をしていた。映画ってすごいなって思いましたね。監督以下スタッフ一丸となり一つの作品を作り上げていて、役者というより、技術や照明さんなど、裏方に魅力を感じるようになりました

 1984年夏、『メイン・テーマ』は公開を迎え、配給収入18億5000万円突破の大ヒットを記録。野村は第8回日本アカデミー賞新人俳優賞に輝いた。大型新人の誕生だ。

 “角川三人娘”といわれた薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子の男性版として売り出され、歌手デビューも果たした。アイドル雑誌の表紙を飾り、アイドル的人気を博していく。女性たちから黄色い声を浴びるも、それは本意ではなかったようだ。

‘92年ドラマ『キライじゃないぜ』(TBS系)の制作発表会見での野村宏伸
‘92年ドラマ『キライじゃないぜ』(TBS系)の制作発表会見での野村宏伸
【写真】「女子高生が待ち伏せ」アイドル的人気を誇った若かりし頃の野村宏伸

僕の中ではアイドルだとは思ってなかった。どこかそのへんは冷めていましたね。昔からそうで、デビュー前もほかのクラスの子が見に来たり、校門のところで隣の女子高生によく待ち伏せされたりもしたけれど、それが嫌で、裏からこっそり帰っていました」

 アイドル扱いに不満は募り、役者という仕事にもそこまでの熱はない。将来を模索し、大学受験をするも、不合格。浪人が決まる。

 そんな中、映画『キャバレー』の主演に決定。監督は事務所の社長だった角川春樹で、監督直々のご指名だ。

「ちょうど20歳のときの作品でした。これから先どうしようかいろいろ悩んでたけど、主演の自分が浮ついていたらやっぱりダメだと思って。撮影前に角川さんにお会いして、これから役者としてやっていこうと思うのでお願いします、と伝えました

『キャバレー』は角川春樹事務所創立10周年記念映画として鳴り物入りで製作された作品で、セットの中にキャバレーを丸ごと造り、さらに各地にロケに出向くぜいたくな作り。一方、野村にとって映画は2作目で、大作の主演は荷が重い。何より役者としては未熟で、経験値も技量もない。

「役者としてやっていこうと決めたものの、いざ撮影に入るとできない部分がかなりあって。角川監督は森田監督と正反対のタイプ。本当にそれでやる気あるのか! なんて、もうボロボロに言われました。同じシーンを何回やってもダメで、結局もう今日は終わり、という日もありました」

 撮影期間は3か月間。夜も眠れなければ、食事も喉を通らず、試練の日々が続いた。

「どんどん追い込まれ、痩せていきました。撮影所に行くのが怖くて、ちょっとノイローゼっぽくなっていたと思う。たぶん今の子だったら逃げ出すでしょうね。それ以前にパワハラと言われてしまうかも(笑)。でもそこで鍛えられた。今となっては貴重な体験ができたと思っています」