「もちろん、すべての疾患を自院で完結できるわけではありません。春山記念病院は、主に外傷系の対応に強い病院ですから、産婦人科などの患者さんにはできることが限られます。

 ですが、CTなどの画像検査を行うことはできますから、他の専門病院へ適切につなぐ“ハブ”としての役割は果たせます。正確な診断情報があれば、転送先の専門病院も受け入れやすくなる。“ファーストタッチ”を行うことが大切なんです」(藤川先生、以下同)

救急医だった父親の影響も

 多忙ではあるが、「仕事の中に楽しさを見いだすことも忘れたくない」。そう言って藤川先生は笑う。なぜ救急医を目指したのだろうか。

父が救急医だったので、その影響もあると思います。出身校でもある東京医科大学病院の救命救急センターでキャリアをスタートしました。実際に始めてみると、イレギュラーでさまざまな患者さんが来院する救急外来が、自分の感覚に合っていた

 近隣にあることもあり、東京医科大学病院勤務中から春山記念病院を手伝うように。しかし、新型コロナウイルスが流行すると、未知のウイルスゆえに春山記念病院も救急患者の受け入れを制限。

 激減した救急患者数を見て「再び救急患者を受け入れることで病院を盛り上げたかった」。急患を断らないのが、春山記念病院の伝統だと声を弾ませる。

 転倒した高齢者、熱中症患者、諍いでのケガ……。さまざまな症状の患者が来院するが、同病院は新宿という土地柄、飲酒がらみの事故やケガが多いのも特徴だ。

「23時くらいを境に増える」と藤川先生が話すように、終電が近くなるにつれ、酔った勢いで転倒したり、急性アルコール中毒で倒れた人などが増えるという。泥酔者の対応はかなり大変では? そう藤川先生に尋ねると「いろんな人がいますね。でも、もう慣れたんで」と、事もなげに一笑する。

 救急車が横づけできる救急外来は1室、ベッドは2床のみ。時には救急車が4~5台、縦列することもある。

車内で待機させるのではなく、患者さんを院内に誘導し、廊下などのスペースも活用して、バイタル測定や問診を同時並行で進めていきます。救急医だけではなく、看護師や事務スタッフあっての救急体制です

 その目まぐるしさを見ると、『新宿野戦病院』のモデルというのも合点がいく。同作の脚本を務めた宮藤官九郎さんは、もともと救急医の日常に興味を持っていたそうで、人を介して藤川先生にたどり着いた。