「たら~り、たら~り、たりらりら~ん」
奇人・葛飾北斎のエピソード
テレビを見ていた視聴者は、何事かと思ったかもしれない。NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で満を持して(?)登場した、くっきー!演じる葛飾北斎の第一声。彼の師、勝川春章(前野朋哉)の“通訳”によると、
「水も滴るいい男」
との意味だそう。その後も原稿を突然食べたり、しまいには放屁までする始末。エキセントリックな行動にSNSでは、
《くっきー!の芸風そのまま》
《大河ドラマで初めて腹抱えて笑った》
といった反応で一躍、話題になった。浮世絵画家といえば、誰もがその名前を思い浮かべる北斎。『富嶽三十六景』を筆頭に、花魁や相撲取りといった人物画から、富士山などの風景、動物、妖怪や龍といった架空のものまで、生涯で3万4000点を超える作品を発表した天才絵師だ。
「有名な絵師ではありますが、相当な奇人だったということを知らない人も多いかもしれません」
こう語るのは、歴史評論家の香原斗志さん。その“奇人っぷり”をこう続ける。
「緻密できれいな絵を描く北斎ですが、とんでもないゴミ屋敷に住んでいたといわれています。ワイドショーで取り上げられるようなゴミ屋敷と同じですよ(笑)。とにかく絵を描くという一点しか考えなかった人なので、食べ物も自炊などせずに、買ってきたものを食べてはそのまま部屋に放り捨てる。
片づけるということをせずに絵を描いているものだから、家の中は汚くなる一方じゃないですか。それでどうしようもなくなったら引っ越してしまう。北斎は生涯で93回も引っ越ししたと伝えられています」
絵以外のことは衣食住でも無頓着。また、とんでもない天の邪鬼だったという。
「黄表紙などの読本に絵をつけることを頼まれて、作者が“こんな絵をつけてほしい”というリクエストをしても無視したそうです。例えば、三味線を描いてくれと言われたら別の楽器を描くとか(笑)。
『べらぼう』に北斎とともに出てきた、津田健次郎さん演じる滝沢瑣吉、のちの曲亭馬琴とは同居するほど仲が良かったのですが、馬琴の『占夢南柯後記』という読本の挿絵に、草履を口にくわえた男の絵をお願いしました。すると“草履なんか口にくわえるヤツがいるか”と北斎が反論。馬琴とケンカになり、これが原因で絶交したといわれています。本人にしてみれば譲れない、凡人にはわからないこだわりがあったのでしょう」(香原さん)
また、生涯で30回以上改名したが、“北斎”という名前は「北の書斎」という意味で、天上で唯一動かない北極星にちなんだといわれている。
「春画を描くときには“鉄棒ぬらぬら”とか“紫色雁高”なんて名前を名乗ってもいました。名前によって画風を変えていましたし、自分の中でのこだわりがここにもあったのかもしれません」(香原さん)
『べらぼう』のほかにも北斎の弟子でもあり、娘でもあった葛飾応為を長澤まさみ主演で描いた映画『おーい、応為』も10月17日に公開された。今まで以上に北斎に関心が集まりそうな今、改めてその作品に目を向けてはいかが?
取材・文/蒔田稔
















