「第2のPUFFY」寄せられていた期待

 中村には、女優の前にアイドルとして活動していた期間もある。

 1990年代にモーニング娘。鈴木亜美、CHEMISTRYなどを生み出したテレビ東京系『ASAYAN』のオーディションに14歳で合格。地元・大阪の中学校を卒業して上京。16歳で“高校生デュオ”と言われた『YURIMARI』としてデビューした。

「当時は“第2のPUFFY”としてブレイクを期待されていました。プロデュースや楽曲提供は『爆風スランプ』のサンプラザ中野さんとパッパラー河合さん。リリースした曲は、ASAYANのエンディングテーマやアニメ『ドクタースランプ』のオープニング曲に採用されましたが、6枚のシングルと1枚のアルバムを出して、1999年の17歳で解散しました」(レコード業界関係者)

“第2のPUFFY”としてブレイクを期待されていた『YURIMARI』時代の中村ゆり(本人のインスタグラムより)
“第2のPUFFY”としてブレイクを期待されていた『YURIMARI』時代の中村ゆり(本人のインスタグラムより)
【写真】「第2のPUFFY」アイドル時代の中村ゆりが可愛すぎる

 数年の活動休止を挟んで、女優としてオーディションを受けるようになった中村。前出の『パッチギ!』以降、NHK連続テレビ小説にも2011年放送の『おひさま』、2012年『梅ちゃん先生』、2014年『花子とアン』など5作品の朝ドラに出演してきた。

 YURIMARIの“相方”は、mariとしてタレント活動をした後、3人の子どものママに。2018年に放送された『爆報!THEフライデー』(TBS系)では、芸能界から離れて岐阜でネイルサロンを開業したことを明かしていた。

「中村さんとマリさんは、今でも連絡を取り合う仲のようです。中村さんはインスタグラムにYURIMARIだったころの写真に“黒歴史じゃないよ”というハッシュタグをつけて投稿したこともありました。2023年の正月にはマリさんと一緒に温泉旅行に行ったことも報告しています」(前出・テレビ局関係者)

 来年で芸能界に入って30年になる中村。やっと訪れた“いい感じ”なブレイクは果たして、どこまで――。