行く先々で頂点に立っているが、どんな少年だったのか。
中学生のときに所属していた野球チーム「東岡山ボーイズ」で、当時から監督を務めている中田規彰さんに聞いた。
まさか、ここまでの選手になるとは
「野球が大好きで楽しみながらやっていました。ただ、ガムシャラにやるという子ではなかったですね。器用でうまいように手を抜きながらやっていました。ちゃんとやるところと、力を抜くところと、そのさじ加減がうまかった。それが試合にも生きていたと思います」
今や世界一の球団のエースとなったが、当時を知る中田さんは驚きを隠せない。
「身体も小さかったし、中学生のときはプロに行くような選手になると思わなかったです。キャッチボールで投げている球を見て、今まで見たことがないほどのいい球を投げていたので、投手をやらせてみましたが、球がすごく速いとか、そういうわけではなかったです。まさか、ここまでの選手になるとは」
ワールドチャンピオンになった瞬間は野球の練習中で、山本を気にかけながらノックを打っていたという。
「休憩中に勝ったと知って、言葉にできないくらいうれしかったです。私の想像を超えていっています。かなり投げていたので身体が心配。ゆっくり休んでほしいです。今年の活躍で、世界でもトップレベルという証明はできたので、日本人がまだ取っていないサイ・ヤング賞を取ってほしいです」(中田さん)
気迫あふれる投球を見せる山本のプライベートはというと、子どものころからの趣味があるという。
「釣りが大好きなようです。6歳のときに祖父に誘われてハゼを釣りに行ったのがきっかけ。オリックス時代には琵琶湖でブラックバスを釣ったり、岡山に帰省した際には瀬戸内海に船で繰り出すほどです。アメリカに活躍の場を移してからも、試合がない日にチームメイトとフロリダの海に出かけていました」(前出・スポーツライター、以下同)
子どものころは、ある“釣り仲間”がいた。
「山本投手の実家の隣には、小学生のときに同じ野球チームに所属していた、2歳年上の頓宮裕真(とんぐう・ゆうま)選手が住んでおり、後に頓宮選手もオリックスに入団。山本投手とチームメイトになり、投手と捕手としてバッテリーを組んだこともあります。2人が小学生のころ、頓宮選手はあまり釣りに興味がなかったそうなので、頓宮選手のお父さんが山本投手を誘ってよく釣りに行っていたみたいですよ」











