天皇、皇后両陛下は「貞明皇后と華族」をご鑑賞

「東京2025デフリンピック」水泳競技のメダリストに手話でお祝いを伝える天皇ご一家(2025年11月25日)
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【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも

 天皇、皇后両陛下は、愛子さまがラオスを公式訪問中の11月20日、東京都豊島区目白の学習院大学構内にある「霞会館記念 学習院ミュージアム」を訪れ、霞会館との初めての共催展「貞明皇后と華族」を鑑賞した。貞明皇后(1884|1951)は大正天皇の后で、天皇陛下や秋篠宮さまの曽祖母にあたる。

 同館のミュージアム・レターには前述のように紹介されている貞明皇后の衣服をはじめ、稲穂とスズメの模様がある貞明皇后の布製のハンドバッグや白い靴、硯、それに大正天皇の書などが展示されている。愛子さまは陛下と10月に、この展覧会を訪れているという。

 私は、両陛下が鑑賞した翌日の11月21日、この展覧会に足を運んだ。大学構内の木々の葉は色づき、日に照らされ、とてもきれいだった。展覧会の会場に入る前、大正時代の初めというから、昭和天皇が10代のころの、子犬を抱いた母親、貞明皇后や昭和天皇の映像などが映し出されていて、この親子関係に興味を持った。

 これも、この連載で触れているが、昭和天皇は還暦を前にした1961年4月24日の記者会見で、60年を振り返って楽しかった思い出はどれかと、記者から尋ねられ次のように答えている。

「いろいろあったが、何といってもいちばん楽しく感銘が深かったのはヨーロッパの旅行です。中でも英国でバッキンガム宮殿に三日泊まってジョージ5世陛下と親しくお会いし、イギリスの政治について直接知ることができて参考になった。当時、私はナポレオンやフランス革命史をおもしろく読んでいたので、フランスではベルサイユ宮殿でルイ王朝をしのび、国民会議発祥の地ジュ・ド・パォームを訪ねて非常に感銘が深かった(略)」

貞明皇后とお子さまたち(後列左から昭和天皇、秩父宮さま、高松宮さま)
貞明皇后とお子さまたち(後列左から昭和天皇、秩父宮さま、高松宮さま)

 1921年(大正10年)3月から半年間、昭和天皇は、イギリス、フランス、ベルギーなどを見て回っている。当時、昭和天皇は19〜20歳で、第1次世界大戦が終わった直後のヨーロッパを肌で知り、イギリスの名君として知られるジョージ5世ら多くの要人たちとも触れ合い、大きな刺激を受けている。

 昭和天皇は、子どものころから歴史好きだったといわれているが、1976年11月、記者たちとの次のようなやりとりがある(文春文庫『陛下、お尋ね申し上げます』より)。
《記者「陛下は、お若い頃生物学より歴史の方がお好きだったと聞いております」

 昭和天皇「(略)私は歴史を学ぶ途中で生物学に興味を持つようになりました。(略)歴史に私が興味を持っていたのは、御学問所の時代であった。主として箕作博士の本で、一番よく読んだのは、テーベの勃興からヨーロッパの中世時代にわたる、英仏百年戦争の興亡史であった。箕作の本に興味を持ったのは、第一次大戦の戦争史で、そういう戦争や政治史に関係したものに、興味があった(略)」》

 わが国における西洋史の権威、箕作元八から若き日の昭和天皇は多大な影響を受けている。先の大戦時、昭和天皇はまさに、世界史の主人公の一人となるのだが、こうした激動の戦中、戦後を乗り越えるうえで、古今東西の歴史から得た知識や教訓、そして、知見などが昭和天皇を大いに助けたのではなかったか。歴史好きに導いたのは、あるいは、聡明な母、貞明皇后の力ではなかっただろうかと、これもまた、愚推してしまう。

 長い皇室の歴史の中で、女性皇族の果たした役割は小さいものではないのだが、これまで、あまり光が当てられてこなかった印象が強い。皇室に生まれ育った愛子さまや佳子さまたちが、貞明皇后や香淳皇后らの不屈の人生に目を向け、調査研究していただけるとうれしい。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など