目次
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ー 還暦の誕生日を迎えた秋篠宮さま
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ー 戦争の歴史とどう向き合うか

「特に、記憶に残っている年齢のときに戦争を体験した人は、もうかなり高齢になってきていますので、(略)まだ話してくれる人もいますし、そういう人たちから話を聞くだとか、それから関連する展示を見学するとか、また、書籍などから知識を得るなどして、一人ひとりが平和のことについて考えていくということが大切になっているのではないかと思います」

「先の大戦のことについては、節目の年だけに思い起こせばいいというものではなくて、これが今年は80年ですけれども、81年であっても、82年であっても、折々に思い起こして、過去に学びながら、二度と同じことを繰り返してはいけないということを、一人ひとりが確認することが大事なのではないかと考えました(略)」

還暦の誕生日を迎えた秋篠宮さま

還暦の誕生日を前に、記者会見に臨んだ秋篠宮さま(2025年11月25日)写真/宮内庁提供
還暦の誕生日を前に、記者会見に臨んだ秋篠宮さま(2025年11月25日)写真/宮内庁提供

 秋篠宮さまは11月30日で60歳、還暦の誕生日を迎えた。これに先立って東京・元赤坂の赤坂東邸で記者会見が行われた。今年は戦後80年の大きな節目の年にあたる。

 秋篠宮さまは今も続く世界各地の武力衝突を踏まえながら、前述したように、歴史に学び、戦争を繰り返してはならないと訴えた。

 こうした秋篠宮さまの強い思いはこの一年、佳子さまや悠仁さまたち家族がいちばん敏感に感じ取ったのではなかっただろうか。

 これは以前、この連載で紹介したことがあるが今年7月、秋篠宮ご夫妻と佳子さま、悠仁さまの家族4人は東京都目黒区にある東京都写真美術館を訪れ、「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」を見学した。

 この企画展は中国新聞社など報道機関5社の主催で、各社のカメラマンや市民らが撮影した原爆投下直後の写真など約160点と映像2点を公開したものだった。

 報道によると、秋篠宮さまは爆心地から2・2キロ地点の写真を見て、放射線が人体に及ぼす影響に触れながら、「かなり爆風が強かったんですね」「やはり核はなくならないといけないですね」などと感想を述べた。悠仁さまは「写真や映像が持つ情報の多さや力を感じました」と語っていたという。

 佳子さまたちが訪れた後、私もこの企画展に足を運んだのだが、誰もが真剣な表情で一つひとつの写真に見入っていたことが、強く印象に残っている。

 重い空気に包まれた会場で私は、悠仁さまの言葉どおり、写真の持つ情報量の多さや圧倒的な説得力を感じながら貴重な時間を過ごした。そのとき買い求めたカタログには、次のように書かれていた。

《1945年8月6日午前8時15分に米軍が広島市に投下した原爆は、島病院の上空約600メートルでさく裂した。直後に発生した火球の中心温度は摂氏100万度を超え、爆心地周辺の地表は3000度から4000度、爆風波秒速約280メートルに達したとみられている。そこに生身の人間がいた。何が起こったのかも分からぬまま瞬時に焼かれた。爆心地から2キロ以内の建物ほぼ全てが破壊し、焼き尽くされていた(略)》

 こうした灼熱地獄の中に無防備の生身の人間がいたら、それはひとたまりもなかっただろうと、改めて私は原子爆弾の持つ非人道性を痛感した。やはり核兵器は、一日でも早く廃絶しなくてはいけない。