戦争の歴史とどう向き合うか

戦後80年の節目に、原爆投下直後の写真などを展示する企画展を見学した秋篠宮ご一家(2025年7月11日)
戦後80年の節目に、原爆投下直後の写真などを展示する企画展を見学した秋篠宮ご一家(2025年7月11日)
【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも

 今年2月23日、65歳の誕生日を前にした記者会見で天皇陛下は、戦争の歴史とどう向き合うのかと記者から尋ねられ、「戦争の記憶が薄れようとしている今日、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切であると考えております」と答えている。陛下は6月、皇后さまと一緒に広島を訪問した。

 宮内庁を通じて公表した陛下の感想には、次のように綴られていた。

《平和記念公園を訪れ、原爆ドームと平和の灯を望みながら、原爆死没者慰霊碑で花をお供えし、80年前の原爆投下により犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、これまでの広島の人々の苦難を思い、平和への思いを新たにしました。この後、被爆遺構展示館と広島平和記念資料館を訪れました。一つ一つの展示品や写真から伝わってくる原爆被害の悲惨さに深く心が痛みました》

 秋篠宮ご夫妻は、全国高校総合体育大会(インターハイ)の総合開会式に出席するため、7月23日から1泊2日の日程で広島市を訪れ、平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花し、拝礼した。さらにご夫妻は広島平和記念資料館で、高校生平和大使を務める被爆4世の甲斐なつきさんらと懇談した。

 昨年、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞したが、甲斐さんはノルウェーの首都オスロで行われたノーベル平和賞の授賞式に出席し、現地で同世代の高校生と平和を考える授業も行っていた。

「今の若い世代の人たちの平和の継承という意味では、今年の夏に広島に行ったときのことが思い起こされます。広島に行って平和都市記念碑に花を手向けた後に、平和記念資料館で平和な世界の実現のために学習し、活動している人たちと会う機会がありました。

 戦争とか核兵器について多くのことを学びながら、そのことを国内外の同世代の人たちと共有し、さらに、国際的な視野を持ちながら課題に取り組んだり、活動している姿を大変頼もしく思いました」

 11月の誕生日会見でも、このように秋篠宮さまは今夏、広島で出会った「大変頼もしい」若い人たちの印象を振り返っている。

 そして、佳子さまは今年8月、母親の紀子さまと一緒に広島市を私的に訪れ、平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑に供花し、拝礼した。また、「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんの生涯を描いたミュージカルを鑑賞したり、広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」を訪問して入所者たちと懇談している。

「戦後、日光の疎開先から焼け野原の中にトタンの家の立つ東京に戻って見た状況は、現在の東京からは、とても考えられないものでした。日本がこのように発展することは、当時、誰しも想像できなかったことと思います。国民が互いに協力し合い、たゆまぬ努力を重ねてきたことを忘れることはできません」

 これは1993年12月、秋篠宮さまや天皇陛下の父親である上皇さまが、還暦を迎えた際に記者会見で述べた言葉だ。

 1933(昭和8)年に生まれた上皇さまは、秋篠宮さまが会見で語った「記憶に残っている年齢のときに戦争を体験した」一人である。

 天皇陛下や秋篠宮さまは、上皇さまや一歳下の上皇后さまから米軍機による空襲のすさまじさやひもじかった疎開など、戦時中の生活を繰り返し、繰り返し聞かされ、戦争の悲惨さや平和の尊さを小さいころから学んでいた。今年11月の誕生日会見での秋篠宮さまの発言は、こうした経緯を踏まえたものだといえよう。

 親から子へ、そして、子から佳子さまや愛子さま、悠仁さまたち孫の世代へ。こうした「負の記憶」がしっかり継承されることはとても大切なのだ。私たち国民は、上皇ご一家から学びたい。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など