“番長”から“若大将”まで

 続いては、清原和博阿部慎之助が同票で7位にランクイン。

 PL学園出身の清原は、高校1年生時から甲子園で活躍。5期連続甲子園出場、計13本の本塁打を放ち、桑田真澄との“KKコンビ”は一世を風靡した。プロ野球では1985年、西武ライオンズにドラフト1位で入団。その後に移籍した巨人ではパワフルな打撃と“番長”キャラで人気を博し、1998年にはプロ入りから13年連続20本塁打の日本記録を達成した。引退後、2016年には覚せい剤取締法違反で逮捕されたことも大きな話題に。現在は野球評論家、タレント、YouTuberとして活動している。

「迫力、気迫、華があった」(新潟県・52歳男性)

「いつでも打つイメージが強い」(東京都・55歳女性)

「番長として強いインパクトが残っている」(大阪府・32歳女性)

1988年プロ野球オールスター大運動会に参加する清原和博
1988年プロ野球オールスター大運動会に参加する清原和博
【結果一覧】歴代巨人軍「最強4番打者」1位は“世界記録”の持ち主

 同率の阿部は、2000年11月のNPBドラフト会議において、ドラフト1位(逆指名)で巨人に入団。2001年、当時の一軍ヘッドコーチだった原辰徳の推薦で、阪神タイガースとの開幕戦に「8番・捕手」で新人捕手ながら先発出場し、プロ入り初打席初安打初打点を含む4打点を挙げる活躍を見せた。2年目には、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞。2007年には主将・4番に任命され、シーズン100打点に到達。その後も内野手へのコンバートなどを経ながら、巨人一筋で長らく活躍。引退後は巨人の二軍監督、一軍コーチを務めた後、2023年からは一軍監督としてチームを牽引し続けている。

「ホームランを打つ!期待を裏切らなった」(神奈川県・52歳女性)

「ジャイアンの4番と言えば阿部慎之助、印象に残っている」(長野県・33歳男性)

 第6位は、ジャイアンツの“若大将”こと原辰徳

 1980年のプロ野球ドラフト会議において、巨人の藤田元司監督が広島・大洋・日本ハムとの競合の末に1位クジを引き当て、巨人に入団。デビューイヤーに新人王を獲得し、1983年には打点王、最多勝利打点、MVPを獲得。1991年には、新人時代から11年連続20本塁打の日本記録を更新。そんな原に関しては、監督としての活躍が記憶に残っている人も多いだろう。監督として通算で2度のセ・パ交流戦優勝、9度のリーグ優勝、5度のクライマックスシリーズ優勝、3度の日本一など、数々のタイトルを獲得。2009年には、WBCで侍ジャパンの指揮を取り、見事世界一に導いている。

「時代のアイドル的存在だった」(埼玉県・50歳女性)

「現役時代、テレビで見ていて凄いと思った」(福岡県・54歳女性)