作中には、さまざまな人の死後の姿が描かれており、その中には彩瀬さんの理想も含まれているそうだ。

目の前にある選択肢以外のものを選べるようになれば

作中に、自分が死んだとわかった瞬間、光の龍のような姿になって望む場所へと飛び去った人もいましたが、私もそうなりたいという欲を持って、生きたいです(笑)

 輝之が亡くなったあと、啓和は晶枝を支え、燈子の世話をし、家事を回し、必死に仕事をこなす時期があった。

燈子が大人に育った時点で、この夫婦はそれぞれの立ち位置で奮闘し、かなり頑張ったといえると思います。ただ、晶枝にも啓和にも心に傷があり、そうした両親に育てられた燈子にも当然、傷があるんです

 物語の中盤には、燈子が次のように自問する場面がある。

《親に少し放っておかれたぐらいのことを、大人になっても引きずっている私は、無様で幼稚なんだろうか》

この場面を書きながら、私自身も“燈子は幼稚なのだろうか”とわからなくなってしまったんです。最後の章を書き終わったときに、やはり燈子の傷は深刻だったのだと思い至りました

 物語の終盤に差しかかると、晶枝と啓和は協力して“道”をつくり、それは燈子にも前向きな影響を与えていく。

本当は生きているうちに自分たちの気持ちを突き合わせて、夫婦で道をつくるに越したことはないと思うんです。でも、私たちはそのやり方を教わっていないんですよね。結果的に死後の両親の足跡をうっすらと見た燈子が、目の前にある選択肢以外のものを選べるようになればいいな、という気持ちで後半の物語を書いていました

 この夫婦の共同作業の場面にたどり着くまで、2年近い歳月を費やしたという。

死後の夫婦のロードムービーのような物語にするつもりで、生前のお話は前座くらいの感覚でいたんです。でも、前座と思っていた部分がむしろ本番だったということに、執筆途中で気づきました

 実は彩瀬さんには、東日本大震災時に旅先で被災し、迫る津波に死を覚悟した経験がある。当時の実感がすべての物語の根底にあるという。

ついさっきまで自分が歩いていた町が津波にのまれ、夜に高台から見下ろしたら、町があったはずの場所が真っ暗になっていました。そのとき、自分が世界だと信じていた像は不正確なものであり、生死を繰り返すことが命なのだと感じたように思います