秋篠宮さまの戒め

黒田慶樹さんと清子さん(当時、紀宮さま)の婚約会見(2004年12月)
黒田慶樹さんと清子さん(当時、紀宮さま)の婚約会見(2004年12月)
【写真】イギリス留学中に親しくなった男性とカフェで談笑する佳子さま

 戦後80年の大きな節目に限らず、毎年、戦争の悲惨さを思い起こし、二度と過ちを犯すことがないようにと秋篠宮さまは戒めたのだった。

 今年2月末、アメリカとイスラエルが共同でイランを攻撃した。このように、世界で戦火が広がりつつある今、私たちには戦争を止める具体的な行動がより求められているのかもしれない。

 秋篠宮ご夫妻は3月15日、京都市左京区の平安神宮で行われた創建130年を祝う祭典に出席している。報道によると、同神宮からの依頼を受けて私的に訪れたもので、ご夫妻は、玉串を捧げて拝礼した。

 祭典には、秋篠宮さまの妹である伊勢神宮祭主の黒田清子さんら約500人が参列したという。その後、ご夫妻は同市内のホテルで開催された記念式典に出席し、秋篠宮さまは「日本の文化のふるさとである京都の美しい伝統を守り、後世に引き継いでいかれることを祈念します」などと挨拶した。

 2005年11月15日に清子さん(紀宮清子内親王殿下)と黒田慶樹さんが結婚して、今年で21年目となる。結婚当時、清子さんは36歳だった。

 そして、今年4月17日は、慶樹さんの61歳の誕生日であり、翌18日は、清子さんの57歳の誕生日に当たる。慶樹さんは、秋篠宮さまと学習院初等科以来の親友で、清子さんとも幼なじみ同然の間柄だった。さらに二人の結婚には、秋篠宮ご夫妻が深く関わっていたこともよく知られている。

 結婚した前年の2004年12月30日、婚約内定が宮内庁から正式に発表され、二人は記者会見で交際の経緯やプロポーズの言葉などを明かしている。

「昨年(2003年、筆者注)の1月に秋篠宮殿下が主宰され、亡くなられた知人を偲ぶテニスと懇親会が赤坂にて行われた際に、出席した懇親会で久しぶりに黒田さんとお会いしました。

 私が小学生のころは、お背が高くていつもまじめなお顔をしていらっしゃる方という印象が強くございましたが、しばらくぶりにお会いして、とても温かな笑顔で人々の中に入っておられる姿が心に残り、お話も楽しくいたしました。それからは主に秋篠宮邸でお会いすることが多くございました(略)」(清子さん)

─プロポーズの言葉は、どのような状況で?

「時期は今年(2004年、筆者注)初めであったかと存じます。私から宮さまに『私と結婚してくださいませんか』と申し上げました。場所は秋篠宮邸で、確かお茶を頂いていたときであったかと存じております(略)」(慶樹さん)

「お返事はその場でお受けする旨を申し上げました。(略)秋篠宮両殿下は基本的に場所を提供なさるというお立場に徹され、二人のことについては立ち入らず静かに見守ってきてくださいました(略)」(清子さん)

 佳子さまは叔母にあたる清子さんのことを、小さいころ、「ねぇね」と呼んでとても慕っていた。

 2006年11月、秋篠宮さまの41歳の誕生日記者会見に同席した紀子さまは、清子さんを近くで見て育った佳子さまについて次のように語っている。この当時、佳子さまは学習院初等科6年生だった。

「娘たちは、内親王としての紀宮さまが結婚されるまでのお姿を近くで見ておりました。紀宮さまが一つひとつのお仕事を大切に丁寧にされていたことを学びながら、娘たちが少しずつ、担う役割に対して理解を深めてくれればと思っております」

 佳子さまは内親王時代の黒田清子さんに多くを学びながら、「令和」という新しい時代の内親王として、国民の期待に応えながら、これからも活躍を続けることだろう。充実した日々を積み重ねる先に、結婚という次のステップが用意されているのではなかろうか。

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など

<文/江森敬治>