東久邇宮成子さんの人生から佳子さまが学ぶこと

 秋篠宮ご夫妻は3月20日、東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターで行われた、社会教育団体「修養団」創立120周年記念大会に出席した。「修養団」は1906年、福島県出身の蓮沼門三氏を中心とする学生らによって創立され、青少年の健全育成などを目的に、ボランティアや災害被災者支援、国際交流事業などの活動をしている。今年2月11日には創立120周年を迎えた。

 式典で、秋篠宮さまは前述したように挨拶した。また能登半島地震で被災し、修養団から支援を受けた石川県輪島市の中学生たちが感謝の言葉を述べると、ご夫妻は盛んに拍手を送っていた。

 同じく3月20日は、2019年に74歳で亡くなった東久邇信彦さんの命日に当たる。信彦さんの母親は、昭和天皇と香淳皇后夫妻の長女、東久邇成子さんで、信彦さんは上皇さまの甥にあたり、天皇陛下と秋篠宮さまとは、いとこの間柄となる。

 成子さんの称号は「照宮」で、戦前に東久邇宮盛厚王と結婚。戦後の混乱期をたくましく生き抜き3男2女を育て上げた。生前、成子さんは、今の佳子さまのように国民からとても人気があった。成子さんは1961年7月23日、35歳という若さで亡くなったが、今年で没後65年を迎える。

《還暦の祝ひのをりも病あつく成子のすがた見えずかなしも》

 以前、この連載で紹介したが、1961年4月29日、昭和天皇は満60歳、還暦の誕生日を迎えた。この約3か月後には最愛の娘である成子さんを亡くすという悲劇にも見舞われていて、昭和天皇はこのような悲しい歌を詠んでいる。

 生前、長男の信彦さんは弟の壬生基博さんと対談し、戦後に苦労した母親の思い出を、秩父宮妃勢津子さまら皇族方との共著『思い出の昭和天皇 おそばで拝見した素顔の陛下』で次のように紹介している。

東久邇さん「相当頑張り屋でしたね」
壬生さん「そうでなくても、うちの母親は、ずいぶん苦労したと思います」
東久邇さん「いままで世間を知らない人が、世間の荒波におっぽり出されているわけですからね。ほんとうに、一から。お金もいじったことがないのに、お金の価値観とかそういうところから始めているわけですから。並大抵の苦労じゃなかったと思います」
壬生さん「ある意味で、相当の落差だと想像します。時代が変わって、そのなかで兄弟五人、私みたいないい加減腕白の限りをつくしている人間を育てながら、なおかつ努力…私がそういうことを言うのも変ですけれども、いまから思うと母は立派だったと思います」

 成子さんは佳子さまと同じく内親王殿下として生まれ育ち、戦後、一般国民となっている。それだけに、成子さんの人生から佳子さまが学ぶことは少なくないかもしれない。