14歳でモデルデビュー。ロックに目覚め音楽活動
土屋の小さいころの夢は「ディズニーランドのダンサー」で、芸能界を目指していたわけではない。ただ歌は大好きで聖歌隊に入ったり、ボイストレーニングを受けたりはしていた。中学生になって、姉がモデル活動を始めたことをきっかけに土屋の運命が動き出す。
「お姉ちゃんは私より背が高くて、顔が小さくて、モデル事務所からスカウトされたんです。その事務所が『アンナも仮で名前を入れとくよ』と、最初はおまけのような形で所属することになったのが転機でした」
自分がカメラの前に立つ姿など想像もしていなかったが、試しに写真を撮ってみたところ、仕事のオファーが続々と届くようになった。いくつか雑誌のモデルを経験した後、ティーン誌『セブンティーン』の専属モデルになることが決まった。祖父は芸能界で働くことには猛反対だったが、母は娘の可能性を信じて後押ししてくれたという。
それからはテレビ、広告、ファッションショー、CMと活躍の場を広げ、18歳のときにロックバンドで歌手としてもデビューを果たす。土屋が音楽的な素養を身につけたのは母の影響が大きい。
「うちはテレビをつけない代わりにラジオが常に流れていて、ママの友人にはミュージシャンも多かったんです。だからオールディーズやビージーズ、セリーヌ・ディオンといった洋楽が幼い耳に自然と届いていました」
ロックとの出合いは、レコードショップで目に飛び込んできたシンディ・ローパーのアルバムジャケットだった。新聞紙でスカートを作り、唇は青く、髪の毛はカラフルに逆立てている奇抜なファッションが目を引いたが、歌はかわいくて哀愁がある。
「これまで聴いてきた正統派の美しい音楽とは全然違うスタイルなのに心が動いて、アルバムをまとめて買い込んだんです」
さらにロックの深みにはまったのは、母の友人が持ち込んだクイーンのレコードとの出合いだ。『ボヘミアン・ラプソディ』を聴いて、冒頭の「ママ、今人を殺してしまった」という歌詞に度肝を抜かれた。
「リアルな言葉で、感情のアップダウンを全部音楽にしているものがロックなんだとわかって、そこからハマっていったんです」
同世代の仲間がJ―POPやヒップホップに熱中する中、ローリング・ストーンズやボン・ジョヴィを聴いていた土屋。撮影現場でもロックを流していたところ、スタイリストたちが次々にロックテイストの衣装を持ち込んでくるようになり、ファッションも変わっていった。
「ロック=激しい、反抗といったものではなく、繊細だからこそ自分の鎧をファッションでもつくっていくものだと思っています。ギターリフやドラムを抜けば、ロックのメロディーはきれいなんですよ。だから私のロックは“感情豊かな音楽”という意味なんです」
この哲学は今も変わらず、土屋の音楽制作の根幹になっている。きれいごとではなく、人間のリアルな感情をそのまま音にする。それは土屋の生き方にもつながるものだ。
デビュー当初から土屋を知る、ヘアメイクの佐伯エミーさんは「野性的で裏表がないところは昔も今も変わらない」と話す。
「酔っぱらうと泣いたり、ケンカしたりすることも多いのですが、次の日にはすごく反省して謝るので、憎めないかわいい人なんです。便利な機械に頼るのではなく、常に自分の感覚と頭を使って動くところにアーティストとしてのこだわりも感じます」


















