NHKの看板アナウンサー
振り返れば武田さんはNHKの看板アナウンサーだった。NHK時代の先輩で、現在フリーアナウンサーの水谷彰宏さん(62)はこう話す。
「武田君は報道アナウンサーとして、『ニュース7』や国政選挙の選挙速報を何度も任されています。スポーツではバンクーバーとロンドンのオリンピック開会式の司会、芸能では『紅白歌合戦』の司会も担当。報道、スポーツ、芸能、それぞれの頂点の仕事を任されているわけです。これはエースの証。これらの一つも手がけられないままアナウンサー人生を終える人のほうが圧倒的に多いのですが」
局内で築いたキャリアを捨てるのは相当な覚悟が必要だったはずだ。フリーになって追い求めていたこと、伝えたかったこととは何だったのだろうか。
ファッション、音楽、そして言葉に憧れて
武田さんは、1967年9月、熊本県で5人兄弟の長男として生まれている。
高校時代の武田さんは、ファッションに興味があり、当時人気があったメンズビギやメルローズといったDCブランドに憧れて、地元のセレクトショップを訪ねていたという。
「ただ、服は高くて高校生の小遣いでは買えないから、安い小物を買ってブランドのデザインが印刷された紙袋を手に入れるんです。それを持つのがステータスで、体育着とかお弁当を入れて、くしゃくしゃになるまで使っていました」
一方で“パンク少年”でもあった。掃除用具のロッカーにギターを入れ、放課後、近所の貸しスタジオに直行。ザ・スターリン、セックス・ピストルズなどをコピーした。
「髪の毛を無理やり立たせて。あんまり立たなかったんですけど(笑)。ちょっとだけアイラインを引いて悪魔みたいなイメージで、文化祭に出てはギターを弾いたりしていました」
ライブにもよく行った。RCサクセションや福岡県出身のTHE MODS、特に佐野元春さんの大ファン。チケットを取るために発売前日から行列に並んで夜を明かし、学校をサボったこともあったという。
実は、のちに妻となる陽子さんとの交際のきっかけは佐野さんだ。陽子さんは次のように回想する。
「主人も同じ硬式テニス部員だったんですが、最初はあまり話さなかったんです。でも3年生のときクラスが一緒になって、2人とも佐野さんのファンだとわかってからは、佐野さんの本を貸してあげたりするようになりました」
高校卒業後は筑波大学に進んだため、地元に残った陽子さんとは遠距離恋愛に。ただ、佐野さんのライブに一緒に行くなど、交際は続いた。
武田さんは大学でもバンド活動を続けていたが、音楽を将来の仕事にしようとは考えなかった。
「あのころは糸井重里さんなどコピーライターが憧れの職業で、言葉を扱う仕事に就ければと考えていました」
大手広告代理店を受けるがうまくいかず、偶然友達に誘われたNHKを受験。志望職欄にはディレクターと書き、アナウンサーは第2志望にしたのだが、これが意外な展開に。
「記者出身のキャスターが担当した『ニュースセンター9時』という番組が注目されたこともあって、当時は、局としてもジャーナリスティックなセンスを持って、自ら企画し、取材するマインドのある人をアナウンサーとして採用しようという時期でした。
アナウンサー志望以外の人をアナウンサーとして採用するケースが多かったんです」


















