スクープされた日にホームラン
これだけならいわゆるグループ交際に過ぎないが、なぜ、長嶋だけ婚約報道に発展したのか。それは、彼らの卒業後の進路に回答を見ることができる。エースである杉浦忠は南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)、内野手の本屋敷錦吾は阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)、二番手投手の拝藤宣雄は広島カープ(現・広島東洋カープ)と4人のうち3人が東京を離れる中、巨人に入団した長嶋だけ東京に残った。
本来なら長嶋は杉浦とともに南海ホークスに入団する予定だったのは知る人ぞ知る話だが、急転直下で巨人と契約を交わしたのは「司葉子に“東京に残って”と懇願されたから」という噂が根強くあった。それが婚約報道の伏線となっていたのは、往年の雑誌記者の証言からもわかる。
《あの時代はグループ交際が普通で、例えば石坂浩二、関口宏、浅丘ルリ子、西田佐知子などもそうした仲良しグループだったのです。長嶋さんら立教グループも同様で、我々の間では2人はいつか結婚するのではないかと言い続けていたんです》(『週刊新潮』2003年1月2・9日特大号)
夕刊紙が「婚約」をスクープした1958年7月1日夜、長嶋の在籍する巨人は後楽園球場で国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)を相手に公式戦を戦った。国鉄の先発投手はデビュー戦で4打席4三振を喫したエースの金田正一だったが、巨人3点リードで迎えた8回裏、長嶋は金田の初球を見逃さず、レフトスタンドに2ランホームランを叩き込んでいる。
スタンドから「長嶋おめでとう」の声が上がったのは、金田正一から初ホームランを放っただけではなく、司葉子との婚約が報じられたことへの祝意もあったのだ。しかし、長嶋本人は婚約について訊かれると、
《デタラメですよ。大阪から帰ってきて、クルマで街を走ってたら、新聞の立ち売りのところに『長嶋、司葉子と婚約』なんて書いてある。本人もゼンゼン知らないことだ》(『週刊明星』1958年7月27日号)
と全否定。一方の司も、
《ほんとにただのお友だちなんです》(『週刊明星』1959年10月18日号)
と噂を一蹴している。
しかし、これらの発言を信じる者はいなかった。当時の芸能人は交際が報じられても、シラを切り通すのが常套手段で、同時期に恋仲が伝えられた中村錦之助(のち萬屋錦之助)と有馬稲子も「ただの友達」と否定し続けたが、結局は結婚に至った。マスコミは「長嶋と司もそのケースだ」と睨んでいたのである。

















